カリフォルニア大学のAdam Gazzaley博士はシリコンバレーで開催されたTransTech Conferenceに登壇、ゲームやVRを使って精神疾患を治療したり、高齢者の認知能力を向上させる「デジタル療法(digital medison)」の現状と今後の見通しについて講演した。同博士によると、デジタル療法は、AIが実現する最大の価値の一つ。治療だけではなく学習にも効果を発揮し、この仕組みを通じて「今後AIがHI(人間の知性)を進化させることになる」と言う。「ゲームしていないで勉強しなさい!」と怒られていた子供たちが「勉強より先にゲームしなさい!」と怒られるようになる!?
デジタル療法とは、薬を使わずにゲームなどのデジタルコンテンツを使って脳の特定の回路を刺激し精神疾患などを治療する方法で、最近注目を集める研究分野の1つ。同博士は、高齢者がプレイすることで注意力と記憶力を高めることのできるゲーム「Neuroracer」を開発。3年間の実験結果を基に、2013年9月に学術誌Natureに論文を発表し、高く評価されるている。
「もちろんそれはうれしいことだが、本当のゴールはこの技術を人々の生活の中に浸透させること」。そう考えた同博士は、その後、ゲームクリエイターたちと新会社Akili Interactive社を設立し、より楽しく、より没頭できるような洗練されたゲームを複数開発。「来年以降、これらのゲームが社会に大きな影響を与えるのではないかと期待している」と語っている。日本ではシオノギ製薬がAkili社のライセンスを取得し、ADHDを対象としたゲームアプリや、自閉スペクトラム症を対象としたゲームアプリを導入していくと発表している。
▼スマホゲームで脳トレ。大事なのはclosed loop
デジタル療法にとって大事なのはクローズド・ループだ、と同博士は強調する。クローズド・ループとは、環境に介入すると同時にその影響を計測し、それを基に介入を微調整する仕組みのこと。簡単な例で言うと、エアコンが、クローズド・ループ・システムの1つだ。希望する室温を例えば23度に設定しておけば、室温が22度のときは暖房の温風を出し、23度になればスイッチがオフになる。逆に室温が25度に上がれば、冷房に切り替わり冷風を出す。介入と同時に計測し、介入を微調整し続けているわけだ。
ゲームでは、プレイ中のスマホやタブレットの傾き具合や、タップの頻度などを計測し、プレイヤーの習熟度や熱中度を推測。習熟度に従って、ゲームの難易度を微調整し続けることで、難し過ぎず、簡単過ぎないゲーム展開を実現できる。熱中度に従って、ゲーム内で提供する報酬(ゲットできるポイントや、ステージ)を微調整し続けることで、プレイヤーのゲームへの没入度合いを深めるという。
同博士によると、没入感には脳の可塑性を高める可能性があるという。可塑性とは、脳の回路を組み換えることができる状態のこと。子供のころに形成された性格や考え方の癖は、大人になるとなかなか変えられないとみられてきたが、最近の神経科学では脳には可塑性があることが分かってきた。つまり脳の回路は、大人になっても組み替えることが可能だということだ。
ゲームに没入すると、プレーヤーの脳に負荷がかかる。集中や記憶、決定、言語、身体動作、認識など、トレーニングしたい脳の特定の回路に負荷をかけることで、脳の回路を組み換えることができるというわけだ。
「人類は、(デジタル療法で)脳の回路のスイッチを意図的に入れたり切ったりできるようになった」「遠い将来には、人類は脳のどの回路を使うのかを、自分で完全にコントロールできるようになるだろう」と同博士は予言する。
▼VR +αの体験が脳の回路を組み替える
「あくまでも仮説だが」と断った上で同博士は、「没入感が高けれ高いほど、脳の可塑性が高まる、という仮説がある」と話す。没入感は、スマートフォンのゲームより、VRゲームのほうが高いはず。そこで同博士は、VRを始め、没入感を高めるための技術や仕組みをいろいろ取り入れ、これまでに目的がそれぞれ異なる6種類のゲームを開発している。
例えばBady-Brain Trainerというゲームでは、ゲームのプレイ中に身体も動かさないといけないので、認識をつかさどる脳の部位と身体動作をつかさどる脳の部位の両方を刺激。ゲームのパフォーマンスと同時に心拍数も計測し、心拍数に従ってゲームの内容を変化させる、心拍数を一定の範囲内にとどめるようにしている。「ある程度まで心拍数を上げたほうが認識能力が上がるという仮説がある。それを検証している」という。
また、VRメガネを装着しプレーする際に、脳に微弱の電気刺激を与えるゲームもある。このゲームを通じた実験で、電気刺激を与えることで、ゲームの習得度を加速させることが分かった。では電気刺激が習熟度を上げることができるのか、効果が持続するのか、などを引き続き実験しているという。
同博士は、こうしたデジタル療法を、精神疾患の治療や高齢者のボケ防止だけではなく、教育分野にも応用し、若者の学習効果の向上に努めていきたいとしている。
同博士は、最近ではこうした取り組みをデジタル療法と呼ばず、「体験療法(Experiential Medicin)」と呼ぶようにしているという。なぜなら「大事なのはデジタルテクノロジーを使うことではなく、体験を通じて脳の回路を組み替えること」だからで、同博士は「脳の回路を組み替えることができるのは、体験のみ。薬も電気刺激も可塑性を高めることはできても、組み替えることはできない」と、その理由を説明している。
▼HI(人間の知能)のためのAI。これこそ究極のAI活用法
同博士は、この6種類のゲームで学んだことをベースに、将来は統合した1つの体験療法を開発したいという。その体験療法の仕組みを通じて、当然ながら数多くの種類のデータが生み出されるだろう。その膨大なデータを使って、クローズド・ループの仕組みを回すには、人工知能が必要になってくる。人工知能以外に、ここまでの膨大なデータを解析できる仕組みはない。同博士は「体験的メディスンは、機械学習、特に強化学習を活かす最高の機会だと思う」と指摘する。
つまり人工知能が、体験療法の仕組みを動かすことによって、人間の知能の精度が向上する。「HI(人間の知能)のためのAI。これこそが、AIの究極の使い方だ」と同博士は言う。
医療の現場においても、教育の現場においても、人間の認知能力を高めるということが、世界的な大きな課題の1つである。同博士はそう力説する。環境問題、貧困問題、経済問題、国際政治問題など、地球上には多くの課題がある。しかし「われわれがこうした課題に意識を集中し続け、クリエイティブで賢明な解決方法を見つけ出すには、われわれ自身の認知能力を高める以外にない。環境問題を取ってみても分かるように、情報がどれだけそろっていても問題は解決しない」と指摘。人間の認知能力を高めることこそが、根本的な問題解決の方法であると強調している。
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