マズローの欲求5段階説にはさらに上があった。人類が目指す自己超越とは TransTech Conferenceから

AI新聞

11月に米シリコンバレーで開催されたTransTech Conference。共同主催者のJeffery Martin博士が基調講演の中で、マズローの欲求5段階説の6番目のステージ「自己超越欲求」について説明している。

 

AIが進化するなら人間も進化しなきゃ Transformative Technology Conferenceに行ってきた」という記事の中でも簡単に触れたが、アブラハム・マズローの欲求5段階説とは、衣食住という基本的なニーズが満たされれば、人から好かれたい、自分の可能性を最大限に発揮したい、という欲求に移行するのだ、という話だ。正確には「生理的欲求」が満たされれば「安全欲求」。それが満たされれば「社会的欲求(外的に満たされたい)」。そして「尊厳欲求(内的に満たされたい)」「自己実現欲求」という5段階の欲求を、人間は登っていくのだという。

 

僕は大学教育をアメリカで受けたので日本の大学で5段階説がどの程度教えられているかは知らないけど、マズローの欲求5段階説は米国で大学教育を受けている人なら全員が知っている話だと思う。Martin博士も「だれもが5段階欲求説のピラミッドの図を、高校か大学の教科書の中で一度は見たことがあるはず。アメリカ文化の中で一番有名な心理学の話の1つだ」と語っている。

 

その5段階説が実は6段階だったと言うのだから、驚きだ。「多くの人は知らないと思うが、マズローは死の直前に人生が別の形で拓くことに気づいたんです」とMartin博士は語っている。

 

マズローは19706月に亡くなるまでの2、3年間は重い心臓病を患っていて、その「別の形」について論文にまとめることはできなかった。だが、登壇したあるフォーラムでその「別の形」について語っている。

 

マズローは、それをHigh-Plateau Experienceと呼んだ。「高原経験」とでも訳せばいいだろうか。Kripperという研究者が心理学の学術誌「Journal of Transpersonal Psychology」にマズローの発言を引用している。

 

 

マズローは次のように語ったのだという。「(喜びとか悲しみとかの感情の)ピークが過ぎ去れば、とても素晴らしいものが沈殿物のように残る」「(そこに残るすばらしいものとは)統合された意識のようなものだ」「統合された意識とは、聖なるものと普通のものを同時に認識できる意識状態と定義してもいいだろう」「ただじっと座って、1時間でもその(普通であり、聖なるものであるというものを)じっと観察することができる。そしてその瞬間瞬間を楽しむことができる」「そこには感情はなく静けさがある」。

その「静かで」「すばらしい」意識の状態にとどまっている経験のことを、マズローは「高原経験」と呼んだ。険しい山道を登りつめたところで、視界に広がる高原。楽しいことが起こる必要もなく、ただそこにたたずんでいるだけで内側からあふれてくる幸福感。そういう感じに近いので、マズローはこの感覚のことを「高原感覚」と呼んだのだろう。

 

自己実現してもつきまとう欠乏感

広く知られているマズローの5段階説では「自己実現」がピラミッドの頂点。そこに到達すれば、それ以上の欠乏感も、欲求もなくなるはず。ところが自分の可能性を最大限に発揮して活躍できたあとでも、虚しさや欠乏感に苦しむ人が多い。

 

僕は経営者の友人が多いんだけど、事実、そういう話をよく耳にする。「ITベンチャーとして成功して生活に困らなくなったけど、次に何をしたらいいのか分からないんです。自分は孫正義さんのような経営者になれるような器ではないし。会社は部下がうまくやってくれていて、僕はほとんどすることがない。週に3回くらいは会社を抜け出してサウナに行ってます」「上場した企業の経営者の集まりに出かけたんですが、8割くらいの経営者はやる気がなさそう。目標を失ったんでしょうね」「東南アジアには日本で成功したお金持ちがたくさん移住してきていますが、ほとんどの人は楽しそうじゃない。自分の資産が減るのではないかとビクビクしている人が多いんです」。

 

Martin博士自身も、広告会社などで大成功し巨額の富を得たが、不安感、欠乏感を拭い去れなかったという。「お金持ちになれば欠乏感がなくなるのかと思ったけど、欠乏感はなくならなかった。一方で自分よりお金もないし成功していないのに、幸せそうな人がいる。何が彼らを幸せにしているのか、知りたいと思いました」。同博士は事業を売却し、ハーバード大学などで「本当の幸せ」について研究を始めたのだという。

 

自己実現しても、なくならない欠乏感。ましてや社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求のど真ん中にいる人たちは、欠乏感をベースに努力を重ねている。

 

「恐れ、欠乏感は進化の過程では必要な感覚なんです。お腹がいっぱいになっても、すぐに敵に襲われるかもしれない。そういう恐れがあるからこそ、生物は生き延びることができる。でも人間は既に食物連鎖の頂点にいて、猛獣から襲われる心配もない。(都市部で生活するにあたって)恐れや欠乏感はもうそれほど必要ではないんです」と同博士は指摘する。

 

欠乏感から解放されて、高原にいるような幸福感に浸りたい。仏教などの教えによると、自我を超越すると欠乏感から解放され、幸福にたどり着けるという。欠乏感を生む自我を超越したい。現代人の多くがそう感じ始めている。「自己超越欲求」に目覚めた人が増えてきているのかもしれない。

 

欠乏感を脱却できた人が到達するPNSEと呼ばれる意識レベル

さてではその自己を超越した状態とはどういう状態のことを言うのだろうか。悟りを開いたと言われる人たち、自我を超越したといわれる人たちの心理状況、身体状況はどのようなものなのだろう。

 

Martin博士は、あらゆる宗教やスピリチュアリティーのジャンルを超えて、「悟っている」と言われている人に片っ端からコンタクトを取って、心理学や生理学などの科学的手法に基づいて聞き取り調査や身体測定を行ってきた。その数、1200人以上という。そしてそれらの体験の共通点を、論文にまとめている。

 

一般的に言われる「悟り」「覚醒」「ワンネス」「自己超越」「大我」「ハイヤーセルフ」などという状態は、心理学用語で「persistent non-symbolic experience (PNSE、継続的な非記号の体験)」と呼ばれている。「継続的な非記号の体験」って何のことやら意味が分からない。「言語化できないような体験」というような意味なのだろう。宗教や宗派によって「通常の自我とは異なる一つ上の意識状態」のことを示す単語や定義が異なるので、PNSEというよく分からない用語に落ち着いたのだそうだ。PNSEという用語を用いることで、インタビューやアンケートにおける宗教家などの協力を得ることができたという。

 

Martin博士によると、多くの「悟り人」の経験談をまとめててみると、マズローの「高原経験」はまさしくPNSEの一種だそうだ。

 

PNSEとはどういう状態なのか。簡単に言うと、①自我という感覚が薄れる②頭の中の雑念が少なくなる③雑念が少なくなるので、過去や未来にとらわれなくなる④雑念にとらわれないので、感情的にならない⑤基本的にすべてだいじょうぶだという感覚になる、などがその特徴らしい。またPNSEといってもいくつかの段階があるらしい。Martin博士の論文を読んで、別の記事で詳しく解説したい。

 

同教授はまた、欠乏感に苦しむ多くの人にPNSEを体験してもらおうとオンラインの瞑想プログラムを開発している。同教授によると、同プログラムを試した70%がPNSEに到達したという。「悟りに到達するのは難しいと思われていたが、特定の瞑想方法など自分に合う手法を見つけるのが難しいだけ。自分にあった手法を見つけることができれば、比較的簡単にPNSEに到達できる」と語っている。世の中の多くの人がPNSEの状態になれば、社会は大きく変わる。本当だったらすごいことだと思う。この辺りも詳しく調べてみたい。

 

また同教授は、超音波を脳に当てるなどの安全な方法でPNSEを体験できる手法の共同研究も始めている。

 

TransTech Conferenceでは、米ニューメキシコ大学のSanguinetti博士による超音波を使ったPNSE達成の研究成果の発表もあった。発表を聞いて、超音波によるPNSE達成は既にサイエンスとしては確立しており、あとはテクノロジーに落とし込み、ビジネスとして展開するだけのような印象を持った。しかし果たして本当にそうなのだろうか。同博士の論文を読むなどして、その結果をまた記事にしたい。

 

人間を進化させる技術、Transformative Technology、略してTransTech。もし既にテクノロジーに落とし込んでビジネス展開できるレベルにまで来ているのであれば、ものすごい話だ。多くの現代人を悩ませる精神的な問題の根本的な解決策になるだろうし、欠乏感のない人が増えれば社会はまったく別の力学で動くようになる。果たしてそのような大きな時代変化の転換期に、われわれは今立っているのだろうか。

 

その研究開発の最先端を、あと何回かの記事で見ていきたいと思う。

 

 

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湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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