DeepSeekの「10兆ドル大戦略」── 有料サブスクの先に見据える中国AIハードウェア・エコシステム

AI新聞

 

中国の新興AIスタートアップDeepSeekは、他のAIモデルのような有料サブスクリプションプランを展開せず、マルチモーダルや音声、動画モデルも持たない。エージェント実行のためのハーネス整備にも遅れている。それにもかかわらず、同社は100億ドル(約1.5兆円)規模の資金調達を控えていると報じられている。

 

X上で大きな反響を呼んだエンジニアGDP氏(@bookwormengr)の分析投稿は、この一見すると不可解な行動の裏に、CEO・梁文鋒(Liang Wenfeng)氏の壮大な構想があると指摘する。GDP氏によると、Wenfeng氏の真の狙いは、目先の数億ドルの売上ではなく、10兆ドル規模の中国AIハードウェア・エコシステムを立ち上げ、自社は1兆ドル企業へと駆け上がることだという。

 

制約を武器に変えたDeepSeekの技術革新

 

DeepSeekはこれまで、ハードウェア制約のなかで独自の技術を次々と生み出してきた。

 

たとえば、モデル全体を常に動かすのではなく、必要な専門部分だけを呼び出す省計算型のAIモデル設計であるMixture of Experts(MoE)を大規模に活用した。さらに、AIに試行錯誤させて性能を高める強化学習の分野では、従来広く使われてきたPPOに代わる手法としてGRPOを導入し、検証可能な正解を報酬に使うRLVRも活用している。

 

推論を高速化する面でも工夫が多い。複数の単語をまとめて予測するMulti-Token Prediction、学習時の待ち時間を減らすゼロバブル・パイプライン、専門部分ごとの負荷をならすExpert Load Balancerなどだ。

 

なかでも重要なのが、長い文脈を扱う際にメモリを大量に消費するKVキャッシュを削減する技術群である。DeepSeekはMLA、DSA、CSA、HCAといった手法を組み合わせ、長文処理に必要なメモリ量を大きく減らしている。加えて、計算の一部をメモリ参照で置き換えるEngram、学習を安定させるmHC(Manifold-Constrained Hyper-Connections)なども投入している。

 

つまりDeepSeekの技術革新は、単にモデル性能を上げるためのものではない。限られた半導体資源でも大規模AIを動かすために、計算量、メモリ、通信、学習安定性をまとめて最適化する試みなのである。

 

KVキャッシュ革命がもたらす意味

 

GDP氏は、DeepSeekの設計思想を示す具体例として、長文処理に必要な「KVキャッシュ」の容量を比較している。KVキャッシュとは、AIが長い文章を処理する際に、過去の文脈をすばやく参照するための一時記憶領域のようなものだ。文脈が長くなるほど、この一時記憶に必要なメモリは膨らむ。

 

1Mトークン、つまり本一冊分を大きく超えるような長い文脈を扱う場合、DeepSeek V4はKVキャッシュ用に5.48GBのHBMで済む。一方、GLM5は60GB、Qwen3-235B-A22Bは89GBを必要とする。DeepSeekは1.6兆パラメータ規模の巨大モデルでありながら、長文処理に必要なメモリ量を大幅に抑えていることになる。

ここでいうHBMとは、AI半導体の近くに配置される超高速メモリのことだ。GPUが大量のデータをすばやく読み書きするための中核部品であり、AIインフラの性能を左右する。ただし、高性能な分だけ高価で、供給も限られている。つまり、DeepSeekがHBMの使用量を抑えられるということは、単なる技術上の工夫ではなく、AIの運用コストを下げるうえで大きな意味を持つ。

 

GDP氏によれば、その効果は価格にも表れている。DeepSeekは、長時間にわたって文脈を保持する処理を、AnthropicのSonnet 4.6におけるキャッシュヒット価格の3%未満という低価格で提供できるという。さらに重要なのは、KVキャッシュの一部をSSDに逃がせる点だ。SSDは、NAND型フラッシュメモリを使った大容量ストレージで、HBMほど高速ではないが、安価で大量に搭載しやすい。つまりDeepSeekの設計は、高価で不足しがちなHBMへの依存を減らし、より入手しやすいメモリやストレージを活用する方向に最適化されている。

 

中国メモリ産業を主役に押し上げる設計思想

 

ここでGDP氏が強調するのは、DeepSeekの技術選択が、中国の半導体産業の弱点を避け、強みを生かす方向に設計されている点だ。

現在のAIインフラでは、HBMと呼ばれる超高速メモリが重要な部品になっている。しかし、この分野では中国企業はまだ大きく出遅れている。最先端の半導体製造に必要なEUV露光装置を十分に使えないことが、大きな制約になっているためだ。

一方で、中国勢が追い上げている領域もある。大容量ストレージに使われる半導体3D NANDでは中国のYMTC社、スマートフォンやサーバー向けの省電力メモリであるLPDDRでは中国のCXMT社が存在感を高めている。つまり中国にとっては、入手しづらいHBMに全面的に依存するよりも、NANDやLPDDRをうまく使う方が現実的な戦略になる。

DeepSeekの設計は、まさにこの方向に沿っている。長文処理に必要なKVキャッシュを、NAND型フラッシュメモリを使ったSSDなどの大容量ストレージへ逃がし、モデルの重みもLPDDRから必要に応じて読み込む方式に最適化することで、HBMへの依存を下げようとしている。DeepSeekの関連研究であるEngramには、「AIが毎回すべてを計算するのではなく、よく使う知識やパターンをメモリから参照する」という発想がある。これも、大量のLPDDRを使いやすい中国の産業構造と相性がいい。

さらにDeepSeekは、NVIDIAのCUDAだけに依存しない開発環境づくりにも取り組んでいる。CUDAはNVIDIA製GPUを動かすための事実上の標準基盤だが、そこに依存しすぎると、国産AI半導体を育てにくい。TileLangへの投資は、Moore Threads、MetaX、Biren、Iluvatar CoreXといった中国製GPUやAI半導体でもAIモデルを動かしやすくするための布石と見ることができる。

つまりDeepSeekの狙いは、単に自社モデルを効率化することではない。中国が手に入りにくい部品への依存を減らし、中国企業が作れるメモリや半導体を使ってAIを動かす道筋を作ることにある。

 

OpenAI=AMD型アライアンスを中国で再現か

 

GDP氏は、OpenAIと半導体メーカーのAMDやCerebrasとの関係を引き合いに出す。OpenAIは、これらの企業の半導体を一定量使うことを条件に、将来その企業の株式を取得できる権利を得たとされる。つまり、AI企業が半導体メーカーの大口顧客になるだけでなく、その成長による株価上昇の恩恵も受けられる仕組みだ。

 

GDP氏は、DeepSeekも中国のメモリ、ASIC、CPU、ネットワーキング各社と、同様のエクイティ連動型協業を結ぶと予想する。

 

米国とその同盟国を中心とする西側のAI関連株の合計時価総額は、すでに10兆ドルを超えている。DeepSeekがこのモデルを中国で再現できれば、同等規模の産業を生み出しつつ、自社評価額1兆ドルを獲得することが可能になる──というのが投稿の核心的主張だ。

 

「AGI for everyone」の経済合理性

 

DeepSeekの梁文鋒(Liang Wenfeng)氏は伝説の投資家ジム・シモンズの著作の愛読者として知られる。GDP氏は「これほど計算高い資本家が、この機会を見逃すはずがない」と述べ、DeepSeekのオープンソース戦略と独自アーキテクチャ志向は、単なる理想主義ではなく「AGI for everyone」という理想を掲げながら、極めて緻密な経済合理性に基づいた長期戦略だと結論づける。

 

DeepSeekが今日やることを、明日には世界中のAI企業が追随する、と言われる。MoE、MLA、DSAがすでに中国のZAI社のAIモデルGLMやMoonshot社のAIモデルKimiに採用されている事実は、その影響力の証左である。中国のAIハードウェア・エコシステムが本格的に立ち上がる日、DeepSeekはその中心で「技術提供者」かつ「最大の株主」として立っているかもしれない。

 

(出典) GDP氏(@bookwormengr)による2026年5月23日のX投稿。投稿は本稿執筆時点で202.5K Viewsを記録し、AI業界関係者の間で議論を呼んでいる。詳細な技術解説はpolymath707.substack.comに掲載予定とされている。

https://x.com/bookwormengr/status/2057909493250539891

湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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