AIの戦場はいま、大きく二つに割れつつある。ひとつは、シリコンバレーが長年信じてきたAI=基盤モデル(LLM)の性能競争。もうひとつは、企業や政府の現場にAIをどう組み込み、実際の意思決定や運用を変えていくかという実装競争だ。
そして後者の戦場で、静かに、しかし圧倒的な存在感を放ち始めた企業がある。米コロラド州デンバーに本社を置く Palantir Technologies だ。AI業界がモデル性能の覇権争いに明け暮れる中、Palantirはまったく異なる価値観でAIの時代を切り拓き、業績を急拡大させている。
Palantirは2003年、PayPal共同創業者 Peter Thiel 氏と現CEO Alex Karp 氏らによって設立された。創業当初から米国政府や軍のデータ統合・分析・作戦支援システムを手がけてきた同社は、いわば国家安全保障のためのAI企業として育った。その結果、データ統合、権限管理、運用プロセス設計といった泥臭い基盤は軍事レベルで鍛えられてきた。
この地に足のついたAIが、いま民間企業の世界で強烈に求められている。2025年9月期、Palantirの売上高は前年比63%増の11億8100万ドル。その中でも 民間向け事業は前年比121%増 と爆発的に伸びている。
Karp氏はその理由を独自路線を貫いてきたからだと語る。彼が貫いてきた価値観は明確だ。──アメリカの国と企業を強くする。そしてその価値観が最も象徴的に表れたのが、2017年の Project Maven だ。
◆ Googleが拒否し、Palantirが引き受けたProject Maven
米国防総省が立ち上げたAIプロジェクトProject Mavenは、ドローン映像をAIで解析し、敵の人物・車両・行動を自動識別するという最重要軍事プロジェクトだった。当初はGoogleが関与する流れだったが、社内でAIを殺人に使わせるなと4,000人を超える反対運動が起こり、同社は協力を拒否した。
そこで白羽の矢が立ったのがPalantirである。Karp氏は躊躇なく受注し、プロジェクトを成功に導いた。この出来事は、AIに対するシリコンバレーとPalantirの価値観の決定的な分岐点 だったと言える。
◆ AIの本当の戦場──モデル競争から組み込み競争へ
シリコンバレーは今もLLMの性能競争に明け暮れている。しかし、企業の現場でAIを本当に使おうとすると、もっと大きな壁が立ちはだかる。
-
AIが既存システムとつながらない
-
部門ごとにデータ形式がバラバラで統合できない
-
誰が何の情報にアクセスしてよいかという権限管理が極めて複雑
どれほど高性能なAIモデルでも、この統合・運用・権限の壁を越えられなければ、企業では使い物にならない。
一方でPalantirは、政府・軍向けに鍛え上げられたおかげで、こうした基盤が すでに完成している。そこに企業のデータを載せ、まずは成果課金型でPoCを実施し、価値が出たら本格導入へ移行する。小さく始めて、大きく育てる導入モデルこそ、民間企業で契約が急拡大している理由だ。
Karp氏はこう語る。
AIモデルは素材にすぎない。大事なのは、それをどう調理し、どう運用するかだ
これは、AI業界が今ようやく気づき始めた地殻変動を示している。Palantirはその変化の先頭を走っているわけだ。
◆ 人材戦略でも、シリコンバレーとはまったく違う
シリコンバレーのAI企業は、経営者視点でAIの未来を語る。OpenAIのSam Altman氏は近い将来、一人の人間が大量のAIエージェントを使いこなし1人ユニコーンが生まれると語るなど、AIが労働を置き換える未来を前提にした議論が多い。
一方Karp氏は、まったく異なる視点を持つ。
AIは労働者を含むすべての人を幸福にする技術であるべきだ
その信念から、Palantirはブルーカラー向けのAI教育プログラムを提供するなど、労働者のAIリテラシー向上に力を入れている。AIで失業や不安が高まれば、人々は政治的に極端化し、社会が不安定になる──とKarp氏は考えているからだ。
この国家・企業・労働者をすべて強くするという価値観こそ、Palantirのシリコンバレーとは異なる最大の特徴である。
◆ AIの新時代は、価値観の多極化から始まる
AI業界はこれまで、シリコンバレーのトップ企業が主導してきた。しかし今、Palantirのように異なる価値観でAIを実装し成果を出す企業が台頭している。ヨーロッパにはヨーロッパの価値観、中東には中東の価値観、そして日本には日本の価値観がある。
AIの新時代は、価値観の多極化 から始まる。シリコンバレー以外の地域から、次のAI覇権企業が生まれる可能性は十分にある。そしてPalantirは、その先陣を切った存在なのだ。

湯川鶴章
AI新聞編集長
AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。