「今後10年で寿命が倍になる」。
AnthropicのCEOであるDario Amodeiのこの発言に対し、イーロン・マスクは「倍かどうかは分からないが、かなり伸びるのは確かだ」と応じている。SF的に聞こえるこの議論が、いまAI業界のトップランナーの間では、現実的な時間軸の話として語られ始めている。
生物学が“工学”に変わる瞬間──AIが50年の難問を一瞬で解いた
背景にあるのは、AIによる生物学の急速な進化だ。生物学はこれまで、試行錯誤を重ねる実験科学だった。しかしAIの登場によって、「発見」から「設計」へと重心が移りつつある。象徴的なのが、DeepMindのAlphaFoldが成し遂げたタンパク質構造解析のブレークスルーだ。
この変化は、創薬の現場でより具体的な形をとって現れている。有力バイオベンチャーのInsilico Medicine社では、AIが病気の原因となる標的を特定し、それに作用する分子構造をゼロから設計する。従来4〜5年を要していた臨床試験前までのプロセスは、18か月以下にまで短縮された。
さらに踏み込んだ領域として、「若返り」の技術が現実味を帯び始めている。ノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が発見した山中因子(OSKM)による細胞リプログラミングは、細胞を初期化できることを示した画期的な成果だ。しかし完全な初期化は致命的な副作用を伴う。
年金・相続・引退──「長生き前提」の社会制度は崩壊する
もし寿命が100年、さらには160年へと伸びたとき、社会はどうなるのか。最初に破綻するのは年金制度だろう。「引退期間」が100年近く伸びるのであれば、現在の前提は完全に崩れる。親が160歳まで生きる社会では、相続という仕組みそのものが機能しなくなる。
より深刻なのは、移行期に生じる「死の谷」だ。AIによる雇用喪失のスピードに、再教育や再分配が追いつかない。大量失業と貧困、社会不安、そして「働く者」と「働かない者」の分断だ。
長寿技術はまた、格差を拡大させる可能性も含んでいる。新しい治療は高額で、最初に恩恵を受けるのは富裕層だ。若さと権力を維持したエリートが、社会制度を自分たちに有利な形で設計していく未来も、決して荒唐無稽ではない。
人生は一度きりではなくなる──「教育・仕事・休息」を何度も回す160年人生
こうした前提のもとで、人生モデルそのものも再設計を迫られる。教育→仕事→引退という一直線のモデルは終わりを迎え、教育・仕事・休息を生涯にわたって繰り返す「マルチステージ型」の人生が主流になる。
結論はシンプルだ。制度改革は、おそらく間に合わない。
だからこそ、個人は自分自身の備えを始める必要がある。健康資本、金融資本、そして認知資本――変化に適応する力こそが、寿命160歳時代を生き抜く最大の資産になる。
寿命160歳時代は、遠い未来の話ではない。AI業界のトップランナーは、10年以内に実現すると指摘している。にもかかわらず、社会はまだこの前提を共有できていない。そのギャップこそが、最大のリスクなのかもしれない。

湯川鶴章
AI新聞編集長
AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。