今日「AI」と言えば、多くの人は米OpenAIのGPT-5や米AnthropicのClaudeのような基盤モデルを思い浮かべる。どのモデルが最も賢いのか。どのモデルが最も安いのか。どのモデルがコードを書けるのか。AI業界の話題は、どうしても基盤モデルの性能競争に集まりがちだ。
しかし、米Microsoft CEOのSatya Nadella氏は、少し違う角度からAI時代を見ている。同氏が語る次の主戦場は、基盤モデルそのものではない。企業が基盤モデルを自社データ、業務ツール、社内文脈につなぎ、自社の仕事に合わせて動かす「AIシステム」である。同氏は、それを「自分たちのAI」と呼ぶ。
もちろん、一般企業がGPT-5やClaudeに対抗する基盤モデルを一から開発するという意味ではない。既存の基盤モデルを使いながら、自社のデータ、自社のツール、自社の評価基準、自社の業務文脈を組み合わせる。つまり、企業ごとに「基盤モデル+ハーネス+private eval」の組み合わせを作るという話だ。
Nadella氏の定義によると、ハーネスとは、モデル、データ、ツールをつなぎ、AIに実際の仕事をさせるための実行基盤だ。ただ、ハーネスだけでは十分ではない。AIが出した答えを、何を基準に「良い」と判断するのか。その物差しが必要になる。それがNadella氏の言う「private eval」である。
private evalとは、その会社だけの「良い仕事」の採点表だ。一般的なAIベンチマークではない。その会社の業務で、何を価値とみなし、何をリスクとみなし、何を許容できない失敗とみなすのかを数値化した評価基準である。
たとえばECサイトの顧客対応AIなら、ハーネスにはGPT-5などの基盤モデルに商品データベース、注文履歴、返品規約、過去の問い合わせ履歴などのデータや、配送状況確認ツール、返金処理ツール、などのツールが繋げられる。
そしてprivate evalとして、一次解決率80%以上、誤回答率1%未満、必要なエスカレーションの見逃し率0.5%未満、顧客満足度5段階で平均4.3以上、返金・返品規約違反をゼロに近づける、ブランドトーン一致率人間評価で4.0以上、などといった数値目標を設定する。
そうすると「自分たちのAI」は、数値目標を達成するための工夫を続け精度を向上させていくことになる。この仕組みをどれだけうまく構築することができるのかが、その企業の競争優位性になる。
この「自分たちのAI」が企業の中核になったとき、人間の社員はどうなるのだろう。Nadella氏は「結局のところ、すべての企業は人間を雇い続けることになる」と断言する。「なぜならAIは人間の主体性と意思を表現するためのツールに過ぎないから」だと言う。
人間が作り出す価値の1つに暗黙知がある。言語化が難しい経験値や勘、判断の基準などは、その価値を認めながらも、言語化が難しい故にAIシステムに取り入れづらかった。しかし同氏によると、MicrosoftのチャットツールTeams上では「多数のエージェントが仕事をし、多数の人間も仕事をしている。その両者の間に残る作業履歴こそが、その企業がどのように価値を生み出しているのかを示す重要な文脈になる」と言う。
その膨大な作業履歴の中には、その企業特有の暗黙知が入っているはず。人間には難しくとも、AIは膨大なデータの中からパターンを見つけるのが得意。AIなら、そのパターンを言語化できるかもしれない。また仮に言語化できなくても、「この場合はこう判断する」という形で再現できるかもしれない。そうすることで、これまで個人の経験や勘にとどまっていた暗黙知が、会社の「自分たちのAI」に引き継がれる。AI大手が提供する汎用の基盤モデルでは絶対に作ることのできない価値を「自分たちのAI」が持つことになるというわけだ。
Nadella氏はすべての企業がこの「自分たちのAI」を構築すべきだと言う。そして基盤モデルをA社製のものからB社製のものに乗り換えても、「自分たちのAI」の性能が向上し続けるのなら、その会社はAI活用の主導権を握っていることになると言う。逆に、特定のモデルに依存しなければ成果が出ないなら、主導権はモデル提供企業側にある。
主導権を自分たちで持ち続けるためにも、自己改善ループで進化し続ける「自分たちのAI」を構築すべきだと言うのが同氏の主張だ。「それを可能にすることこそが(Microsoftのこれからの)仕事である」と同氏は語っている。

湯川鶴章
AI新聞編集長
AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。