「AIの知性」を売買する——暗号資産が生む分散型AIマーケットプレイス

AI新聞

分散型AIネットワーク・Bittensorが、中央集権的なAI開発への静かな挑戦を続けている。独自の暗号資産トークンをインセンティブに、世界中の開発者がAIモデルを持ち寄り、競い合い、報酬を得る——誰でも参加できるが、提供されるAIサービスはトークンで売買される「分散型AIマーケットプレイス」の全貌と、具体的なユースケースとして注目を集めるコーディングエージェント「Ridges AI」の実態に迫る。

 

OpenAIやAnthropicが巨額の資金を背景に最先端モデルを独占的に開発する現在のAI業界に対し、まったく異なるアプローチで挑む動きがある。ブロックチェーン技術を基盤に、世界中の開発者がAIモデルを持ち寄って競い合う分散型ネットワーク——米Bittensor(ビットテンサー)だ。

「知性」に値段をつける

Bittensorを一言で言えば、「AIの知性を売買できる分散型市場」だ。

Bittensor公式サイトによれば、プロジェクトのビジョンはシンプルだ。「Googleはひとつの屋根の下にAIチーム、ストレージチーム、コンピュートチームを持っている。Bittensorはその全てを、単一のトークン体系の下で実現する」。

具体的な仕組みはこうだ。ネットワークへの参加者は大きく「マイナー」と「バリデーター」に分かれる。マイナーはAIモデルを構築・提供し、バリデーターはそのモデルの品質を評価する。この評価に基づいて、優秀なモデルを提供したマイナーに、ネットワーク固有の暗号通貨「TAO(タオ)」が報酬として配布される仕組みだ。

評価には「Proof of Intelligence(知性の証明)」と呼ばれる独自のメカニズムが使われる。Crypto.comの解説によれば、このメカニズムでは、各バリデーターがマイナーの出力に点数(重み)をつけ、その点数の行列をアルゴリズムが集約する。報酬はバリデーター間のコンセンサス(合意)にどれだけ整合しているかで決まり、他のバリデーターと大きくかけ離れた評価をしたバリデーターも、低品質なアウトプットを出したマイナーも、ともに報酬が削られる仕組みだ。計算パズルを解くだけのビットコインとは根本的に異なり、アウトプットの「質」そのものが評価軸になる。

TAOトークン:ビットコインを模した希少性設計

Bittensorの経済モデルはビットコインを強く意識した設計になっている。

21Sharesのレポートによれば、TAOの総供給量はビットコインと同じ2,100万トークンに上限が設定されており、2025年12月の「半減期(発行量が半分に削減されるイベント)」を経て、現在の1日あたりの新規発行量は7,200TAOから3,600TAOに減少した。発行量のうち、マイナーに41%、バリデーターに41%、サブネット(後述)のオーナーに18%が分配される。

CoinMarketCapの解説によれば、「VCやインサイダーへの事前配布は一切なく、すべてのTAOはマイニングと検証によって稼ぐ必要がある、フェアローンチ(公正な立ち上げ)だ」という。この点は、多くの暗号資産プロジェクトが早期投資家に大量のトークンを配布する慣行とは一線を画す。

「サブネット」という競争市場

Bittensorのユニークな点は、AIの分野ごとに独立した競争市場「サブネット」を持っていることだ。テキスト生成、画像認識、コーディング支援、気候予測——それぞれ異なる専門領域を持つサブネットが、Bittensorという単一のネットワーク上で並行して動作する。

Crypto Valley Journalの報道によれば、サブネットは2025年第2四半期だけで50%増加し、2025年末時点で128のサブネット全枠が埋まっている。

2025年2月に実施された大型アップグレード「Dynamic TAO(dTAO)」は、この仕組みをさらに洗練させた。CoinGeckoの解説によれば、旧システムでは64人のバリデーターの評議会がどのサブネットに報酬を配分するかを決めていたが、dTAO移行後は、各サブネットが独自の「アルファトークン(サブネット固有の通貨)」を持つようになった。TAO保有者がどのサブネットのアルファトークンに対してTAOをステーキング(担保として預ける)するかによって、そのサブネットが受け取る報酬量が市場原理で決まる——いわば「どのサブネットに価値があるか」をコミュニティ全体が投票する仕組みだ。

Bittensor共同創設者のJacob Steeves氏はこの仕組みを「サブネットが高い需要と高品質なアウトプットを持てば、より多くのステーキングを集め、サブネットが受け取る報酬——ネットワークが毎日新しく発行するTAOトークン(現在は1日3,600枚)——の取り分がより大きくなる」と説明している。

「BittensorのDeepSeekモーメント」

2026年3月10日、Bittensorエコシステムで注目すべき出来事が起きた。

Crypto Valley Journalの報道によれば、サブネット3「Templar」が分散方式で720億パラメーターの言語モデル「Covenant-72B」の訓練を完了した。世界70か所以上のノード(ネットワークの参加端末)が参加し、事前のホワイトリスト登録も不要——十分なGPUを持つ参加者であれば誰でも加われた。

性能面でも注目に値する。同モデルはMMLUベンチマーク(AI能力の標準的な評価指標)のゼロショットテストで67.1点を記録し、MetaのLLaMA-2-70BとLLM360 K2を上回った。モデルの重み(学習済みパラメーター)とチェックポイントはApacheライセンスで全公開されている。

アナリストはこれを「BittensorのDeepSeekモーメント」と評した。中国のDeepSeekが少ないコストで高性能モデルを公開したことが世界に衝撃を与えたように、中央集権的な研究所を経由せずに大型言語モデルを分散訓練できることを証明したからだ。市場はすぐに反応し、TAOは7日間で46%上昇、Templarのアルファトークンは同期間に194%上昇した。

具体的なユースケース:Ridges AI(SN62)

抽象的な仕組みの話だけでは終わらない。Bittensorのサブネットから、すでに具体的なプロダクトが生まれ始めている。その代表例が「Ridges AI」(旧称:Agentao)だ。

IQ.wikiの解説によれば、Ridges AIはBittensorのサブネット62(SN62)として動作し、コードのバグ修正からテスト作成、GitHubの課題解決まで、エンドツーエンドのソフトウェア開発タスクをこなす自律型AIエージェントのマーケットプレイスを構築している。

競争メカニズムはシンプルだ。参加者はコードを全公開した状態でAIエージェントを提出し、バリデーターがソフトウェアエンジニアリングの業界標準ベンチマーク「SWE-Bench」でそのエージェントを自動テストしてスコアリングする。トップパフォーマーがそのエポック(評価周期)のサブネットエミッション(報酬)全額を獲得し、そのコードは全公開される——次の競争者がそれを見て、さらに改良を加えることができる。

Bittensor共同創業者のAla Shaabana氏はこの仕組みについて、「Ridgesのサブネット62製品は、Claude CodeやCodexと比べて1/5から1/7の価格でありながら、同等のベンチマーク性能を発揮している」と述べている。

Altcoin Buzzの報告によれば、Ridgesが狙う市場は年間4,000億ドル規模のソフトウェアエンジニアリング市場だ。2025年10月30日にはCursor(コーディング支援ツール)やVS Code(開発統合環境)の拡張機能として「Ridges V1」を正式リリースしている。

「AIを少数に独占させない」という哲学

Bittensorのビジョンは技術の話にとどまらない。

Bittensor公式サイトはこう述べる。「ビットコインが金融を分散化しようとしたように、AIも少数の者に所有されてはならない。AIは、金融と同じかそれ以上に危険な脅威をはらんでいる」。

ビットコインは、世界中のコンピューターが電力を消費して計算処理を行うことで、その対価として暗号通貨を得る仕組みだ。つまり電力を収益化している。BittensorはAIの「知性」そのものを収益化しようとしている。大手AI企業を経由せずに72Bパラメーターのモデルを分散訓練するなど、技術的な成果が出始めている一方、一部の参加者による意思決定権の独占やこの仕組みの経済的な持続可能性については引き続き検証が必要だ。「AIの民主化」を標榜しながら、その実態がどこまで実現されているか——注目すべき実験が、静かに進行している。

湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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