未来学者で米XPRIZE財団の創設者として知られるPeter Diamandis氏は3月29日、「From UBI to UHI (In 3 Steps)」と題したエッセイを発表、AI時代の所得保障をめぐる大胆なシナリオを提示した。AIとロボットが大量の仕事を代替する時代に、ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)をどう導入し、最終的により豊かな生活水準であるユニバーサル・ハイ・インカム(UHI)へ移行させるかを、3段階で描いた思考実験だ。 (Metatrends)
同氏の出発点は明快だ。これまで経済学や政策立案の前提となってきたのは、技術革新で仕事が失われても、最終的には別の仕事が生まれ、労働市場は自己修復するという考え方だった。蒸気機関、電力、コンピュータの時代には、その前提がある程度成り立っていた。だが今回は違うと同氏は言う。大規模言語モデル、マルチモーダルAI、ヒューマノイドロボットは、一部の職種だけでなく、ほぼ全産業にまたがって人間の労働価値そのものを同時に押し下げる可能性があるからだ。再訓練すれば移れる「隣の仕事」が、今回は存在しないかもしれないというのである。
そのうえでDiamandis氏は、移行期を3つのフェーズに分ける。第1段階は2025年から2028年の「破断と下支え」のフェーズだ。若者が大学を出ても仕事に就けない。中堅の物流管理職が倉庫自動化で職を失う。そうした形で雇用喪失が実際に生活の危機として現れるという。同氏はこの段階で必要になるのは大規模な現金給付であり、米国では月3000ドル、年3万6000ドル程度が、単なる延命ではなく「安定した生活」のための最低金額だと主張する。根拠として、米労働統計局の家計支出調査を引きながら、家賃、食費、交通、医療、光熱費を含む平均的な生活費は月2800〜3200ドル程度だと述べている。
ここでのUBIは理想論ではないと同氏は言う。同氏は、コロナ禍で米政府が家計への現金給付を短期間で実行した例を出し、制度的にはすでに配布メカニズムが存在すると指摘する。さらに、完全失業へ一気に向かうのを防ぐ暫定策として、賃金を維持したまま労働時間だけを32時間に短縮する週休3日型の働き方も併用すべきだと主張。これは雇用の総量を分け合うだけでなく、仕事が持っていたアイデンティティや生活リズムをつなぎとめるため必要な施策だとしている。
第2段階は2028年から2031年の「オートメーション配当」。ここがこの論考の中心だ。普通なら景気刺激策で金利が下がれば企業は人を雇う。しかしAI時代には、安い資金は人件費ではなく、AIやロボット導入に向かいやすい。結果として金融緩和が雇用創出ではなく、自動化加速の燃料になる。この逆説に対して同氏が提案するのが、ロボット税ではなく「オートメーション配当」という考え方だ。AIが生み出した生産性向上の一部を国民全体へ配当として戻すという仕組みだ。実質的にはロボット税と同じかもしれないが、「税」とすると罰というイメージがあるため「配当」という名前にするのだという。実際にアラスカ州が石油収入を原資に州民へ配当してきた恒久基金を参考モデルに挙げ、全国版の「国民生産性基金(National Productivity Fund)」を作り、AIやロボットによる代替労働に応じて企業が拠出する構想を示している。
この点で注目すべきは、同氏がUBIの総額をあえて絞って考えていることだ。米国の全成人250百万人に一律で月3000ドルを支給すれば年間9兆ドルに達するが、実際に支援が必要なのは、AIによる移行を乗り切れない5000万〜8000万人程度であり、その場合の必要額は年2兆〜3兆ドル規模まで下がるという。社会保障や医療扶助など既存制度の整理による行政コスト削減も織り込み、純増分は1兆〜1.5兆ドル程度に圧縮できるというのが同氏の計算だ。もちろん、この数字自体は同氏の試算であり、政治的にも財政的にもハードルは高い。ただ、単なる理念ではなく、資金の流れまで含めて構想している点にこの文章の特徴がある。
第3段階は2031年から2035年の「大デフレ」と「UHIの瞬間」だ。ここでいうUHIとは、厳密な制度名というより、固定額の現金給付の実質価値が、AIによる生活コストの急低下によって大きく膨らんだ状態を指す。同氏は、音楽、地図、写真、情報、通信がデジタル化でほぼ無料化したのと同じ現象が、次は交通、住宅、医療、食料、教育、エネルギーといった物理世界に広がると指摘。ロボタクシーの走行コストが1マイル0.20〜0.40ドルに下がれば、米国家計が年間約1万2000ドル使っている交通費は2700ドル程度まで縮む。建設ロボットが成熟すれば、40〜50%を占める建設労働コストが大幅に減り、35万ドルの家が11万ドル級に下がる可能性がある。こうしたコスト低下が積み上がれば、年3万6000ドルのUBIでも、現在よりかなり高い実質購買力を持つようになるというのが同氏の主張だ。
「小切手が増えるのではない。世界が安くなる」と同氏は言う。つまり、所得を増やして豊かにするのではなく、AIとロボットで生活必需コストそのものを大幅に下げることで、同じ給付額の購買力を大きく引き上げようと言うわけだ。これがUBIからUHIへの転換点だとしている。エッセイの中には、イーロン・マスク氏が2026 Abundance Summitで、AIとロボットが膨大なモノとサービスを供給し、人が望むものはなんでも手に入るような経済拡大が起こりうると語った発言も引用されている。
もっとも、同氏の主張は楽観論だけではない。生産コストが下がっても、必ずしも消費者価格が下がるとは限らないと明記している。実際、通信やモバイルデータの世界では、基盤コストが下がっても、その果実が消費者ではなく株主や企業価値へ流れた例がある。だからこそ、住宅や医療、交通、エネルギーで同じことが起きないように、競争政策や公共調達、補助制度が必要になるという。技術が豊かさを生んでも、それが生活コスト低下として広く配られなければ、UHIは実現しないという認識だ。
その課題を埋める装置として登場するのが「Abundance XPRIZE」である。住宅、食料、飲料水、電力、通信、交通をまとめた生活基盤パッケージを、4人家族向けに月250〜1000ドルで提供できる仕組みを開発した人やスタートアップ企業に賞金を出すというイベントだ。生活基盤パッケージの目標額はまずは月1000ドル、最終的な理想は250ドルと言う。まずこのイベントで民間のイノベーションの競争を起こして供給コストを大幅に下げ、その成果を政府が大規模調達や補助で広げるという発想だ。
このエッセイでもっとも印象的なのは、楽観の前に「谷」を置いている点だろう。同氏は、2026年から2031年ごろに最も危険な時期が来ると見る。仕事は失われ始め、社会保障や週休三日、UBIなどで最低限の所得を確保したとしても、生活コストの本格的下落はまだ訪れない。つまり、高い物価の世界で最低限の所得だけで生活しなければならないフェーズだ。ここで政治的反発や社会不安が臨界点を超えれば、その先にあるはずの豊かさの設計図までも壊そうとする力学が働く。なので同氏は、AI化を止めるのではなくAI化を加速させることで、オートメーション配当をいち早く実現し、同時に生活費低下を急ぐ必要があると訴えている。問題を生む力が、同時に問題を解く力にもなるというわけだ。
このエッセイが面白いのは、UBI論を福祉政策の話で終わらせていないことだ。論点はむしろ、AIが国家の所得分配装置、価格形成装置、さらには社会の安定装置そのものを書き換えるかもしれないという点にある。AIが雇用を奪うかどうかだけではない。AIが生活費をどこまで削れるのか。その削減分を誰が受け取るのか。企業か、株主か、国民全体か。その設計次第で、同じAI革命がディストピアにも、ユートピアにもなる。
Diamandis氏の構想は米国中心で、数字もかなり大胆だ。だが、同氏が突きつけている問いは日本にとっても他人事ではない。AI時代に本当に問われるのは、AIが人の仕事を奪うかどうかだけではない。AIが生み出す膨大な生産性向上と生活コスト低下の果実を、誰が受け取るのかという分配の設計だ。企業と株主だけが受け取るのか、それとも社会全体で分かち合うのか。UBIからUHIへの議論は、福祉政策ではなく、AI時代の新しい資本主義をどう設計するかという問いそのものだ。

湯川鶴章
AI新聞編集長
AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。