世間では、OpenAIはGoogleに対抗していると見られがちだ。そのため、Googleの最大の収益源である広告事業に対してOpenAIがどう考えているのか、という質問がメディアから繰り返される。
しかしOpenAIのCEO、Sam Altman氏は広告事業に強い関心を示していない。昨年11月に収録されたYouTube番組のインタビューで、同氏はこう語っている。
「世界で最も賢いAIモデルの収益化方法は広告ではない。私が本当にやりたいのは、新しい科学を発見し、それを収益化することだ。」
では、「科学の発見を収益化する」とは具体的に何を意味するのか。
そのヒントを与えるのが、物理学者であり起業家のAlexander D. Wissner-Gross博士と、未来学者であり起業家のPeter Diamandis氏が発表したエッセイ『Solve Everything』である。
科学を産業に変える9つの構造
同エッセイは、科学的発見を産業化するために必要な構造を9つの要素で整理している。
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Purpose(目的)
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Task Taxonomy(タスク分解)
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Observability(観測可能性)
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Targeting System(評価指標)
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Model Layer(AIモデル)
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Actuation(駆動装置)
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Verification(検証)
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Governance(ガバナンス)
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Distribution(展開・配布)
この9要素を、エッセイは Industrial Intelligence Stack(知能の産業化スタック) と呼ぶ。
それは、知能を個人の職人芸からインフラ(産業)へと変換するための構造体である。
知能を「産業化」するとは何か
AIを活用して知能を産業化する際、最初にやるべきことは「何を解きたいのか」を明確にすることだ。曖昧なビジョンではなく、数値で定義された目的へと落とし込む。
次に、その目的を構成するタスク群へと分解する。問題を細かい単位に砕き、「何ができれば前進と言えるのか」を定義する。
その上で重要なのが観測可能性である。そのタスクはセンサーやログ、データによって測定できるか。測定できないものは、産業化できない。
観測できるなら、それを評価指標(Targeting System)として定式化する。ここで初めて、成功は「感覚」ではなく「数値」になる。
AIモデルは、この評価指標に向かって急速に最適化する。
仮説生成、シミュレーション、証明、設計――
これまで個人が担っていた知的作業は、AIを中心とするシステムへと再編成される。
成否を左右するのは個人のひらめきではない。
正しく設計された評価軸に対して、どれだけ計算資源を集中投下できるかである。
有望な解が出れば、ロボットアーム、全自動実験室、API、スマートコントラクトといったアクチュエーション層が物理世界や制度世界に作用する。
結果は攻撃的なシミュレーションや外部監査による検証を受け、運用管理体制と倫理チェックを通過したものだけが拡張される。
これが、知能の産業化スタックの全体像である。
創薬に当てはめると何が起きるか
このスタックを「創薬」に当てはめてみよう。
目的の数値化
まず目的は「がんを治す」といった抽象的なものではない。
「特定のがん種における5年生存率を20%改善する」
「副作用発生率を半減させる」
といった数値目標になる。
タスクへの分解
標的タンパク質の特定、分子構造設計、毒性予測、動物実験、臨床試験設計――。
創薬という巨大な問題は、無数の小さな問題へと分解される。
観測可能性の確保
タンパク質の結合親和性は測定可能か。
副作用の発生確率は予測可能か。
臨床効果は統計的に検証可能か。
観測できない仮説は、いくら有望に見えても産業化できない。
評価指標への変換
「結合エネルギーが一定値以下」
「毒性スコアが閾値未満」
「試験群での有意差 p<0.01」
こうした数値が、AIの最適化ターゲットになる。
AIは数百万単位で分子候補を生成し、評価し、探索空間を圧縮する。電力と計算資源を投下すればするほど、探索効率が上がる世界へと転換する。
実世界への作用
有望な候補は自動合成装置やロボット実験系によって生成され、臨床試験設計もAIが最適化する。
その結果は外部監査や規制当局の厳格な検証を通過したものだけが市場に出る。
この瞬間、創薬は「研究」から「産業」へと変わる。
本質は「何を良しとするか」の設計
このスタックの中で最も重要なのは、
①何を目的に設定するか
②その目的をどう評価指標に落とし込むか
である。
AIは評価される指標に向かって一直線に最適化される。
つまり、掲げる指標がそのまま業界の進化方向になる。
重要なのはモデル性能競争ではない。
未来を決めるのは、「何を良しとするか」という設計である。
Wissner-Gross博士はこう述べる。
「人類は知能の産業化という革命の入り口にいる。これから18ヶ月で知能の産業化における評価軸とルールを決める者が、次の100年を決める。」
なぜ「18ヶ月」が重要なのか
理由は単純だ。
いままさに、知能の産業化を支えるインフラが固定化されつつあるからである。
評価指標、データの扱い方、報酬設計、計算資源配分のルール。
これらは一度広く採用されると、簡単には変えられない。
キーボード配列がいまだにQWERTYであるのは、「最適だから」ではない。一度標準化され、教育制度やハードウェア、ソフトウェア、指の訓練までがそれに最適化されたからだ。
評価軸も同じである。
もし創薬の成功を「短期株価」で評価するルールが定着すれば、AIはそこへ最適化される。
もし「副作用ゼロ」を最優先にする評価軸が標準化されれば、産業全体が安全性重視へ進化する。
もし「Learning Gain per Hour」が教育の公式指標になれば、世界中の教育AIはそこへ最適化される。
評価軸が標準化されると、三つのことが起きる。
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資本が流れる
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人材が集まる
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AIモデルが最適化される
結果として産業の方向性が固定化される。
現在の18ヶ月は、インターネット初期にTCP/IPが標準化された時期や、スマートフォンOSがiOSとAndroidに収束した時期に似ている。
一度レールが敷かれれば、その上で何兆ドル規模の経済が走り出す。
後からルールを変えることは極めて難しい。
モデルは急速に進化する。
しかしモデルは、与えられた評価関数の中でしか進化できない。
だからこそ、評価軸を設計した者が、その後100年の軌道を決めるのである。
広告ではなく、科学へ
AIの可能性は、広告モデルでGoogleと競うことではない。
従業員の生産性向上にとどまることでもない。
本当の可能性は、個人の知的活動をAIを中心としたシステムへと組み替え、科学の進化を加速させ、社会課題を解決し、経済を構造的に拡張することにある。
問題はただ一つだ。
私たちは、この知能という巨大なエネルギーを、どこへ向けるのか。

湯川鶴章
AI新聞編集長
AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。