手首への振動刺激で、手をつないだような安心感 ウェアラブル機器「Apollo」で何事にも動じない心へ

AI新聞

手で触れられる。それだけで人の心は落ち着くものだ。腕時計型デバイスのApolloは、手首への振動を発信、まるで手をつないだような安心感を脳に送るウェアラブル機器だ。開発者のDavid Rabin博士によると、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や不安神経症などの精神疾患の治療に有効なだけではなく、瞑想の質を深めるのにも効果があるという。同博士は「(このデバイスでユーザーに)どんな状況においても心静かに対応できる仏教の高僧のようになってもらいたい」と語っている。

 

▼瞑想や呼吸法よりも簡単

心を落ち着かせるには、呼吸法や瞑想が効果的だと言われる。欧米ではこのところ、ストレス対処法として呼吸法や瞑想が注目を集めているわけだが、ただ「(高僧のようにどんな状況でも心静かに対応できるようになるには)何千時間もの訓練が必要」と同博士は指摘する。

一方で相手を安心させるために人類が何十万年も培ってきた方法がある。手を触れる、という方法だ。人類は、手を触れることで「安全だからだいじょうぶ。安心して」というメッセージを相手に伝えてきた。そこで同博士は、手で触れられているときに「安心して」というメッセージを脳が受け取るのと同様の仕組みを、ウエアラブル機器からの振動で再現。実験の結果、ストレス軽減、瞑想を深めるのに効果があったと言う。

手に触れるという刺激と同様の結果を得るために同博士が採用したのは、TVS(Transcutaneous Vibroacoustic Stimulation、経皮的振動音響刺激)と呼ばれる、皮膚の上からの振動による刺激。皮膚への波のような振動の刺激は、神経を伝わって感情や自律神経を司る脳の部位に「安心して」というメッセージを届けるのだという。

神経で同博士が最も注目するのは、Lamina 1と呼ばれる脊髄後角の1つの層。皮膚への振動は、Lamina 1を通じて自律神経に直接信号を伝達するほか、脳幹の中の孤束核と呼ばれる場所に信号を送っている。孤束核は自律神経のハブのような存在だという。同博士は「Lamina 1は感情伝達の中核的な経路。Lamina 1をターゲットにすることで自律神経や呼吸、心拍変動に影響を与えたり、判断力を高めたり、感情をコントロールできるという研究結果の文献が多数存在する」と言う。

こうした文献をベースに、皮膚への振動がストレス軽減に役立つのではないかといいう仮説で実験を続けてきたという。

 

▼ゆっくりした触覚刺激でストレス軽減

ピッツバーグ大学が行った実験では、38人の被験者に、NASA(米航空宇宙局)で採用されているPASAT( Pace Auditorial Serial Attention Task)という作業テストを受けてもらった。スピーカーから、2秒毎に0から9までの数字のどれかがアナウンスされる。そのたびに今言われた数字とその2秒前に言われた数字の二つの数字を書き留める、という簡単な作業だ。ただ1つ前の数字を覚えていなければならないので、ちょっと面倒。1セットが3分間なのだが、1分30秒を過ぎたころからこの作業が退屈になり、ストレスを感じるようになるという。そのころから「どうして、こんなおもしろくない実験に協力を申し出てしまったんだろう」「あと何分ぐらいで終わるのかな」「今日の夕ご飯は何にしようか」など、いろいろな雑念が浮かび始めるという。これを全部で12セット、2時間かけて行う。同博士によると「がんばっても時間とともに正解率は下がり、ストレスがたまる作業」だという。

38人の被験者には、振動を発信するデバイス「Apollo」を装着せずに作業する回と、腕に装着した回、胸に装着した回などを試してもらった。腕や胸に装着してもらう場合も、異なる周波数を発信し、その結果を記録した。

その結果、多くの人が、Apolloを装着した場合のほうが「ストレスが軽減された」という感想を持ったという。実際にデバイスを装着したほうが正解率は最高で25%も上昇した。生体データを見ても、リラックス度合いを示す心拍変動は2、3倍改善され、認知能力を示す瞳孔拡張の数字も上昇した。またゆっくりとした周波数の方が、早い周波数よりリラックスした人が多かったという。つまりストレスの多い作業であっても、Apolloを装着することで、リラックスした状態で、しっかりと認知し、正確に答えれることがわかった。

この実験結果を受けて、さらに多くの実証実験が始まっている。例えば2000人以上にApolloを配布、実験室なではなく、実際の生活の場面でApolloを使ってもらった。その結果、95%以上のユーザーが生産性、集中力、睡眠が改善されたと答えたという。特に疲労やストレスの多いユーザーほど、心拍変動などの生体データに大きな改善が見られた。

また複数の大学で行われた実験では、瞑想の初心者と熟練者の両方の瞑想中の脳波を調べたところ、Apolloを使用することで瞑想状態に入りやすくなることが分かったという。

また運動選手への影響を調べる実証実験なども進んでいるという。

 

 

【おまけ】

同博士のことを調べていて、個人的におもしろかったポイントがいくつかあったので、少し紹介したい。

▼心拍変動が最重要指標

一つは心拍変動。

心拍変動は心臓の鼓動の間隔におけるデータを示す数字。心拍は、運動すれば速くなりリラックスすると遅くなる。しかし心拍変動はこうした心拍の変化ではなく、リラックスした状態のときでも呼吸や血圧などの変化にともなって生じる鼓動の間隔の「ゆらぎ」のことを言うらしい。心拍間隔は一定のほうがいいように思いがちだが、実際にはわずかな変動があるほうが健康的なのだそうだ。どうやら変動が大きいほど、急なストレスに対応する能力が高いらしい。

反対に心拍変動が低下すると交感神経が優位になっているとみられ、心拍変動の低下は心不全、冠動脈疾患、急性心筋梗塞による死亡率と関連があるとみられている。Rabin博士によると、心拍変動が低い人は、鬱や不安神経症、心臓血管系の疾患や、死亡につながる恐れがあるという。

心拍変動は、Apple Watchなどのウェアラブルデバイスで常時取得できるようになったことから最近特に注目を集めているデータで、同博士は「心拍変動は、ストレスが心身に与える影響を測定できる現在最も信頼性の高いデータ」と絶賛している。

僕はそれまで知らなかったのだが、iPhoneもApple Watchを通じて取得した心拍データをもとに心拍変動を計測しているようで、iPhoneの「ヘルスケア」アプリの中を探したら、Apple Watch購入時以降の僕の心拍変動の推移のグラフをいろいろ見ることができた。

同博士のスライドの中にApolloを使ったときに心拍変動の推移のグラフがある。早朝にApolloを使用すると20ミリ秒しかなかった心拍変動が70ミリ秒を超えている。午前10時ごろに60ミリ秒にまで下がった時点で再びApolloを使用すると100ミリ秒ほどに上昇。その後100ミリ秒越えで推移しているが、午後6時にApolloを使用するとさらに116ミリ秒まで上昇している。1日の平均は79ミリ秒となっている。

 

僕のiPhoneによると、僕の心拍変動はだいたい20ミリ秒から30ミリ秒の間を推移している。ヨガや瞑想をしたあとも、そこまで大きく上昇していない。Apple Watchではあまり正確に計測できないのだろうか。ヨガや瞑想より、Apolloのほうが心拍変動に効果的なのだろうか。

 

▼ストレスを感じる前に対処できる未来

Rabin博士は、さらに新しいハードウェアとソフトウェアを開発したいと語っている。最終目標は、生体センサーで心拍変動(HRV)などのデータを取得すると同時に、そのデータに基づいてTVS(振動刺激)を自動的にスタートさせるデバイスだ。同博士によると、われわれがストレスを脳で認識するよりも早く、われわれの体がストレスを知覚し、生体データに変化が現れるという。それをアルゴリズムで解析し、そのときの体の状態に合った振動刺激を与えることで、ストレスを感じる前にストレスに対処することができるようになるという。

同博士は「精神疾患、PTSE、慢性的な痛みを持っている人で、自分の感情をうまくコントロールできない人にとっては、人生が変わるようなテクノロジーになると思う」と語っている。

 

▼ストレスは必要

講演後の質疑応答の中で「常にリラックスしているのが人間にとっていいことなのだろうか。ある程度のストレスはあったほうがいいという意見もあるが」という質問が寄せられた。それに対し同博士は「ストレスには一時的なものと慢性的なものがある。われわれが問題視しているのは慢性的なストレスだ」と違いを強調。慢性的なストレスは、精神的疾患のみならず身体的疾患の原因にもなると指摘し、Apolloでは慢性的ストレスに対処したいと答えた。

また「一時的なストレスは望ましいのかどうか」という疑問に関して、同じ研究グループのGreg Siegle博士は「われわれもこの問題に非常に興味がある」と答えた。実証実験では、心拍変動でリラックスの度合いを計測し、瞳孔拡張で興奮度合いを計測しているが、同博士によると新しい実験では特に興奮度合いに注目しているという。

Rabin博士は、「これまでの実験の結果、どうやらリラックスと興奮が同時に発生する最高のバランスらしきものがあるように感じる。それがどうやらフロー体験と呼ばれるものらしい。ストレスがあるのだが、落ち着いている状態だ。ストレスがあったほうがいいというのは、そういう意味だと思う」と語った。フロー状態とは、我を忘れて目の前の仕事に没頭する意識状態のこと。フロー状態に入ると、生産性が向上する一方で、まったく疲れを感じないという。

Siegle博士によると、フロー状態に入るための興奮状態とリラックス状態の最高のバランスは人によって異なることが分かってきているという。

 

 

▼触覚でも瞑想と同じ。長く使えば簡単にリラックスできるようになる

質疑応答の中で「Apolloを継続的に使用すれば、どのような結果になるのだろうか。耐性ができて効果が薄れることはないのか」という質問が出た。それに対し、Rabin博士は次のように答えている。

「今のところ、そのような結果は見られない。Apolloも瞑想のようなものかもしれない。瞑想は最初は難しい。始めたばかりのころは、うまく集中できずにリラックスできない。心静かな意識状態に入るには時間がかかるかもしれない。しかし瞑想の訓練を続けていると、瞑想に慣れてきて、心静かな意識状態に比較的簡単に入れるようになる。そして普通の意識状態と境界線がなくなり、日々の生活の中で瞑想状態を維持できるようになる。

「Apolloにも同じような効果が期待できる。まだ本格的な実験は行っていないので結論づけることはできないが、少数のユーザーの実験結果を見る限り、長く使えば使うほど、比較的簡単に効果を実感できるようになるみたいだ」。

 

湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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