心拍数をベースにBGMを自動生成。スマホアプリEndelで、あっと言う間にリラックスできた

AI新聞

11月にシリコンバレーで開催されたTransTech カンファレンスEndelというベンチャーのCEOが登壇していたので、スマホアプリEndelをダウンロードして試してみた。なんでも今年、世界中で大ヒットしたBGM自動生成アプリらしく、モードは、「リラックス」、「集中」、「外出中」、「睡眠」の4種類。Apple Watchなどで取得した心拍数などのデータをもとに、そのときの自分の体内時計に合った音楽をリアルタイムで自動生成してくれるらしい。試しに「リラックス」BGMを10分ほど流したら、あっという間に深い瞑想状態に入ってしまった。つぎにモードを「集中」に切り替えると、眠気がさめて一気にシャキッとした。なにこれ、すごい。コカコーラやワーナーミュージックなど、いろいろな企業がEndelとコラボし始めたというのも納得できる。どういう仕組みなのだろう。技術的なところを詳しく調べてみた。

 

▼音が心身に影響を与えるメカニズム

音楽が心身に影響を与えることは、だれでも体験的に知っている。でも一体どういうメカニズムなのだろう。

起業家で音とコミュニケーションの専門家、Julian Treasure氏によると、音は4つの形でわれわれに影響を与えるという。1つは身体的な影響。けたたましいブザーの音を聞くと、コルチゾールが分泌される。コルチゾールは、ジャングルの中で敵に出くわしたときに分泌されるホルモン。音は人間のホルモン分泌に影響を与えることができるわけだ。ホルモンに加えて、呼吸や心拍数、脳波にも影響を与えることが分かっている。

毎分12回ぐらいのペースで浜辺に打ち寄せる波の音は、聞く人をリラックスさせる効果がある。1分に12回というのは、眠っている間の呼吸の数と同じなのだという。

2つ目の形は、心理的な影響。音楽は、われわれの感情に最も大きな影響を与える音だ。悲しい曲を聞けば悲しい気持ちになるし、楽しい曲を聞けば楽しい気持ちになる。鳥の鳴き声などの音も、心を静かにしてくれる効果がある。鳥が鳴いているときは安全だという過去何十万年もの記憶が、われわれのDNAに刻まれているからかもしれない。

3つ目の形は、認知的な影響。二人から同時に話しかけられると、どちらの話もうまく理解できないことがある。われわれの脳は、どちらか一人に意識を集中しなければ、話を理解できないようにできているらしい。大きな騒音の中で集中して仕事ができないのはこのためだ。騒音のあるオフィスの中での生産性は66%も低下する、という実験結果があるという。

4つ目は行動面への影響。自動車を運転していてラジオからテンポの速い曲が流れ出すと、ついついアクセルを踏みがちになる。音による行動への影響の一例だ。また人間は不快な騒音から距離を置き、心地よい音に近づいていくことが多い。店頭で不快な音を出したところ、売り上げが28%低下したという実験結果があるという。

 

▼ベースとなる2つの科学的根拠

さて、話をEndelに戻そう。EndelのCEO、Oleg Stavitsky氏によると、Endelは、2つの科学的な根拠をベースに音楽を自動生成するという。

1つは体内時計だ。生物は体内に時計の機能を持っており、哺乳類は脳の中心部下面にある視床下部の視交叉上核が体内時計の働きをしているという。

体内時計は自然のリズムと同期するようになっており、人間は朝日が登ると活動を始め、夜になるとエネルギーレベルが低下して、眠くなるようにできている。また体内時計には、一定のリズムの山と谷があり、それに従って脳波が変化し、ホルモン分泌や細胞生成など、重要な体の働きが制御されているという。体内時計が乱れると、睡眠障害に始まり、心臓血管系の疾患や、癌、愛着障害なども引き起こす可能性があるといわれている。

ところが現代社会のライフスタイルは、時に体内時計を乱す原因となる。どうすれば体内時計の乱れを是正できるのか。EndelのStavitsky氏が着目したのは音だった。

脳神経科学によると、音の周波数、音高、音色が、人間の認知の状態に影響を与えることが分かってきたからだ。

この脳神経科学が、Endelの科学的根拠の2つ目になる。

例えば、五音音階(Pentatonic Scale)には、リラックス効果があることが分かっている。五音音階楽曲とは、1オクターブが5つの音で構成されている音楽のことだ。1オクターブはドレミファソラシドの8音だが、アジアやアフリカ、南アメリカの民族音楽の中には、5音の音楽が多いという。日本の民謡や演歌なども5音音階のものが多い。

ある実験で、妊娠中の女性に向けて五音音階の音楽を流したところ、胎児の心拍数が低下するなどのリラックス効果が確認されたという。

この知見を参考に、EndelのBGMは、主に五音音階で作られているらしい。

またEndelは、サウンドマスキングと呼ばれる手法を採用している。サウンドマスキングは、意図的に別のノイズを流すことで、嫌な雑音を隠してしまう手法だ。意図的に流すノイズとしては、ホワイトノイズ、ピンクノイズ、ブラウンノイズなどがあるらしい。ウィキペディアによると、ホワイトノイズは「パワースペクトルで見ると対象となる、それなりに広い範囲で同程度の強度となっているノイズ」のことらしい。深夜にテレビの放送が終わったあとに画面が砂嵐のような絵になって「シャー」という音が流れるが、あれがホワイトノイズと呼ぶものらしい。ある研究によると、不安神経症の患者にホワイトノイズを聞かせることで、血圧、心拍数、皮膚温度などの数値に大きな変化があり、リラックスしていることが分かったという。

一方でピンクノイズは「周波数成分が右肩下がりの音」で「ザー」という音に聞こえる雑音のことらしい。

Endelでは、こうした研究結果をベースに音楽自動生成のアルゴリズムを組み立てているという。

 

▼一人一人のそのときの状態にあった音楽

こうした科学的根拠に基づき、Endelのアルゴリズムは一人一人のそのときどきの状況に合ったBGMを自動生成する。ユーザーの状況を把握するためにEndelが使うデータは、時間帯、自然光、心拍数、天気、行動タイプなど。

まずは現在地データをスマホから取得し、現在地の時間帯をベースに、そのユーザーにとっての理想的な体内時計のサイクルを把握する。またその場所の天気の情報をネットから入手し、外気の温度に合わせたBGMを生成するという。

またiPhoneなら「ヘルスケア」、Androidなら「Google Fit」のデータにアクセス。リアルタイムの心拍数データを入手し心拍数に音楽のリズムを合わせたり、リアルタイムの歩数データを入手し、「外出中」モードの際の歩く速さに音楽のリズムを合わせたりするという。

 

▼あっという間に人気アプリに

Endelがリリースされたのは、2018年11月。あっという間に一月当たり10万ダウンロードを記録するヒットアプリとなった。その後Apple StoreのEditor’s Choiceに選ばれ、日本で一時、No.1アプリになったという。

2019年3月にはワーナーミュージックと提携し、Endelのアルゴリズムが作曲したBGMをワーナーを通じてネット配信することになった。Treasure氏は講演の中で提携の経緯を説明、「Endelは、楽曲がリアルタイムに自動生成されるのが特徴だと説明したのに、あらかじめ生成、録音されたものでいいのでリリースしたいと言われた」と苦笑。結局Endelのアルゴリズムが作曲したアルバムが20枚もリリースされることになった。

このころから各メディアに取り上げられ、8月には米コカコーラ社の飲料水「スマートウォーター」のキャンペーンで、Toro y Moi、Washed Out、Empress Of、Nosaj Thing、Madeline Kenneyといった有名アーチストとコラボすることになった。アーチストが作曲した楽曲の一部分をアルゴリズムに学習させて、BGMを生成したという。

 

▼すべてのデバイスがデータを収集し、すべてのデバイスでユーザーを癒す未来

キャンペーンではEndelのアルゴリズムが作曲した曲を録音したものをリリースしたわけだが、Treasure氏は「将来はあらかじめ録音された楽曲ではなく、有名アーチストの曲をベースに、ユーザー一人一人の状況に合わせてEndelがその場でBGMを自動生成するような仕組みも作っていきたい」と話している。確かに自分の好きなアーティストの楽曲をベースにしたBGMで、仕事に集中したり、ジョギングできるようになれば楽しいかもしれない。

現在はスマホだけではなく、スマートウォッチやパソコン、AIスピーカーなどでもEndelが利用できるようになっているが、Treasure氏は今後もありとあらゆるデバイスとの連携を進めていくという。そうすることで、それぞれのデバイスで取得したユーザーデータを統合し、より正確にユーザーの状況をリアルタイムに把握できるようになるという。

また正確に把握したユーザーの状況に基づいて、あらゆるデバイスが協力しあってユーザーに働きかけることができるようになる。

例えば、長い1日が終わり、満員電車に揺られて帰ってきたら、部屋が心地よい温度に保たれ、電気を少し暗くし、癒し系のBGMが流れている。テレビは、心を落ち着かせてくれるような番組や映画をレコメンドしてくれる。帰宅後すぐに予定されていたテレビ電話の会議も、体内時計のエネルギーの山が最も高くなる1時間後に自動的にリスケジュールされる。環境がユーザーの状況を把握し、環境がユーザーを癒す。Treasure氏は、Endelを最終的にそのような仕組みにしていきたいと語る。「余計なことに気を奪われることもなく、今ここに集中できるようになる。精神的な革命だと思う」と同氏は胸を張る。

 

▼1週間試してみた結果は?

さてこの原稿を書くためにいろいろと調べている間に、Endelをじっくり試してみた。1週間試してみた感想は、次のような感じだ。

まず「リラックス」モードでは、確かにリラックスできる。瞑想にも入りやすい。ただ僕は日頃から瞑想を習慣にしていてるので、ほかの人に比べると瞑想状態に入りやすいのかもしれない。ほかの人は、このアプリを使ったらどんな感じになるのだろうか。

また瞑想の入り口としてはEndelは効果的だけど、より深く瞑想に入るためにはEndelをストップして、無音の中で瞑想を続けるほうが効果的に感じた。

一方「集中モード」は、少し眠いときには気持ちをシャキッとしてくれた。ランチのあとって眠くなるときが多いんだけど、そのときに「集中」モードを試したら、眠気のほうが勝ってあまり集中できなかった。音が心身に影響を与えるのは確かだろうが、満腹感が与える影響も無視できないと感じた。

Stavitsky氏は、「集中」モードのときにゾーンに入れば、ゾーン状態が長く続くと言う。ゾーンというのは時間を忘れるほどに、目の前の仕事が楽しくて集中が持続する状態のことだ。僕自身も原稿を書いているときにゾーンに入ることがたまにあるのだが、個人的にはゾーンに入っているときにはEndelであってもBGMはじゃま。原稿がすらすら書けているときにEndelをオフにしてしまった。

一方、個人的に「睡眠」モードはあまり効果を感じない。睡眠モードをオンにすれば一瞬で眠れるのかと思ったら、そんなこともなかった。睡眠には、運動や食事、周辺の光などといった要因が大きく関与すると言われる。そうした要因のほうが、EndelのBGMよりも影響が大きいのかもしれない。運動、食事、光などの条件がすべて同じなら、Endelは効果があるのかもしれないが。

 

▼ヘルスケアAIプラットフォームの第一歩

それでもユーザーのそのときの状態を判断して、音で心身に影響を与えるという仕組み自体は、非常に画期的で、おもしろいと思った。ただユーザーの心身の状態を判断するための生体データが、心拍数ぐらいしかないのが残念。もっといろいろなデータが取れるようになり、それをAIが解析してより正確にユーザーの心身の状況を把握できるようになれば、Endelはより効果的になるのだと思う。(参考記事:音楽が精神に与える影響をAIが解析

ユーザーの状況を正確に判断し、ユーザーをより自然な形で健康な生活に導くような仕組み。ヘルスケア関連のスタートアップの経営者たちの話を聴いていると、だれもがこうした仕組みを目指しているように感じる。

データは集まれば集まるほど強力になる。より多くのデータを集めるために、今後巨額の資本が投入されることになるだろう。

まだこうした仕組みを形容するようなキーワードが米国でも生まれていないが、僕はこうした仕組みを「ヘルスケアAIプラットフォーム」と暫定的に呼びたいと思う。

ユーザーの状況を取得するセンサーはいろいろと出てきている。問題はそうして得たデータをどのように解析し、どのような刺激でユーザーの生活を健康的なものに誘導するのか。Endelのように音なのか、Halo Sportのように電気刺激なのか、食事なのか、運動なのか、睡眠なのか。

 

ヘルスケアAIプラットフォームの覇権争いが今、静かに始まろうとしているのだと思う。

 

 

 

 

 

湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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