AIを利用した創薬、新素材開発の時代がやってきた EMTech Digitalから

AI新聞

水の中でも固まるセメントが開発されれば、世界中の港が津波の恐怖から救われるかもしれない。毒性の少ない保冷剤が開発されれば、インドやアフリカに運んでいるワクチンの1/3を失わなくてすむかもしれない。求める特性を指定するだけで、AIとロボットが実験を繰り返し、夢の新素材を開発してくれる全自動実験装置。そんな装置を開発した米KebotixCEO Jill Becker氏は「(AIx新素材の)可能性は無限」と胸を張る。「21世紀はバイオやナノの世紀になる」。故スティーブ・ジョブズ氏を始め、多くの研究者、起業家がそう予言してきた。いよいよ、その予言通りになり始めたのだろうか。

 

「まさに新時代の幕開けです」。MIT Technology Review主催のAIカンファレンスEmTech Digitalに登壇した米Insitro社のDaphne Koller氏は、そう宣言した。同氏によると、19世紀は化学の時代、20世紀前半は物理の時代で、20世紀後半はコンピューターの時代だった。「生物学の世界では、ここ5年ほどでものすごい量のデータが取れるようになってきました。時期を同じくしてAIが急速に進化をし始めました」。機は熟した。いよいよ大きな社会変化が起ころうとしている。「2020年からはバイオ・データ・エンジニアリングの時代になります」と言う。

Koller氏によると、米国の医療コストが急騰しているのは、1つには新薬の開発に、時間とコストがかかるからだ言う。求める特性を持ちそうな1万個の化合物の候補の中から、250個を選び出す。その中から臨床実験を行う5個を選ぶ。その5個の薬の候補の中からフェーズ1、フェーズ2、フェーズ3の臨床実験を行って、ようやく1つに決定。その後、政府の認可を受けることができれば市販されることになる。「新薬の価格が高いのは、日の目を見なかった9999個の化合物の試験コストが、新薬の価格に含まれるからです」と同氏は言う。

同氏率いるInsitro社では、1万個の候補の中から250個に絞り込む作業をAIに任せることで、時間とコストを大幅に削減しようとしている。「ここ5年ほどで、入手可能な遺伝データ、生体データの数が爆発的に伸びてきた。オルガノイド(人工臓器)を使った実験データも大量に手に入るようになった。こうしたデータをAIに入力すれば、どんなことができるのでしょう。非常にエキサイティングな時代になってきました」と同氏は目を輝かす。

Kebotix社も、同様に化合物のレコメンドにAIを使う考え。ただKebotixCEOBecker氏自身は、創薬にはまったく興味がないという。「化学の研究者には2種類のタイプがいる。1つは、薬を作りたい研究者。もう一つのタイプは、(物事を)爆発させたい研究者。私は完全に後者だ。政府のゆっくりとした新薬認可プロセスに付き合うつもりは、さらさらない」ときっぱり。創薬に関して多くの製薬会社からアプローチを受けているが、Kebotix社では創薬専門の子会社を作り、別の人間をCEOにする計画だと言う。

Kebotix社の開発した全自動実験装置の核になっているのが、Generative Machine Learning(生成機械学習)を使ったInverse Design(逆問題解析)と呼ばれる手法だ。

ニューラルネットワークの伝統的手法であるオートエンコーダーは、例えば入力と出力に手書きの数字の4を入れてエンコードとデコードを続けることで、真ん中の一番小さく圧縮されている隠れ層と呼ばれる部分に、4の特徴が残るという仕組みになっている。

この仕組みを応用し、入力にタバコを吸っている女性の顔写真、出力にアイシャドウをつけた女性の顔写真を設定すれば、真ん中の隠れ層に両方の女性の顔の特徴を持った写真が生成される。隠れ層の女性の顔写真は実在しない女性の顔写真だが、どれも女性らしい特徴を備えたものになっている。実在しない人間の顔写真を生成する技術として、少し前にニュースなどでよく取り上げられていた技術だ。

ハーバード大学の化学の研究者たちは、これを化学に応用した。入力にアスピリンを、出力にカフェインを設定。真ん中の隠れ層には、アスピリンとカフェインの特徴を残した化合物がいくつも生成された。あとは、この中から使えそうな性質や機能を持つ化合物を探し出すだけ。人間の化学者が一から生成するよりも、時間と労力を大幅に短縮できることになる。

この仕組みを作って同社が作り上げたのが、化合物を自動的に生成する全自動実験装置だ。同社では、それをKebotix Platformと名付けた。

人間は、求める特性をKebotix Platformに入力するだけ。あとはAIが、可能性のある化合物の構造データを無数に作り出し、別のAIが、その中から有望なもの数個に絞り込む。その構造データを基にロボットアームが液体もしくは気体の化合物を生成し、化合物が指定特性を持っているのかどうかの実験を繰り返す。実験の結果は、生成のAIにフィードバックされる。Kebotix Platformがこの試行錯誤のループを何度も回すことで、最終的には求める特性の化合物を作り出すことに成功するはずだとBecker氏は言う。

「人間は、欲しい特性を設定するだけ。あとは全自動装置が勝手に化合物を作り出してくれる。簡単なプロジェクトなら、化合物はすぐにできるだろう。複雑なプロジェクトなら、時間がかかるかもしれない。いずれにせよ、人間が作るよりも時間もコストも格段に少なくて済むはずだ」とBecker氏は言う。

市販の薬の特性を入力すれば、構造が異なるのに同じ特性の薬を作り上げることが可能。市販されている薬のメーカーに、ライセンス料を支払う必要がない。

これまでにない化合物を作ることも可能だ。固まるのが速いセメント、特定の雑草にだけ効く安全な除草剤など、「アクセス可能な市場は無限にある」とBecker氏は言う。既に建設会社や、素材メーカー、化学薬品メーカーなどから、多くのアプローチを受けているという。

今は、「青色を吸収しない化合物」の生成の実験を1月から進めている。AIが構造データを絞り込んでおり、それを基にロボットアームが化合物を生成して実験している段階。夏までに実験に成功すれば、秋にはシリーズAの資金調達を行う計画だそうだ。

大手企業からのパートナーシップを求めるアプローチが多いが、「われわれも業界大手になるつもり。なのでパートナー選びは慎重に行いたい」と語っている。また全自動装置があまりにもパワフルなので、「倫理についても考えながら進みたい」としている。

「ヘルスケア、地球温暖化、大気汚染、気候変動、エネルギー、ヘルスケア、大気汚染、サステナビリティなど、現代社会は問題山積。今ほど新素材が求められている時代はない」とBecker氏は言う。

果たしてKebotix社が、AIxバイオx素材の時代に一番乗りするのだろうか。その答えを知るには、同社の実験結果を待つしかないが、新しい時代の幕が上がろうとしていることだけは、間違いなさそうだ。

 

湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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