マインド・アップロードで世界的研究者の意見が対立

AI新聞

脳内の情報のやり取りは、ほとんどが電気信号。なので脳内の電気信号のやり取りの仕組みを、そのまま電子回路で再現できるはず。そういう根拠で研究が進んでいるが、マインド・アップロード。人間の意識をそのままコンピューターにアップロードしようという研究領域だ。SF映画などではよく見かける話だが、果たして本当にそんなことができるのだろうか。研究はどの程度進んでいるんだろう。

MIT Technology Reviewのこの記事、MIT、「脳の永久保存」企業との研究契約解消へは、ベンチャー企業の事業内容に関する論争なのだが、その中でノーベル賞を確実視されるような世界的な研究者が意見を戦わせているのがおもしろい。対立意見の中にこそ、真実が見える。この記事から、マインド・アップロード研究の現状を探ってみたい。

この記事は、脳の永久保存を推進するベンチャー企業Nectome(ネクトーム)社の主張に科学的根拠が乏しいとして、同社と業務提携しているマサチューセッツ工科大学(MIT)に対しても批判が起こっているという内容。批判を受けて、MITは結局、業務提携を解消している。

詳しいことは記事を読んでもらうとして、同社の主張は、①今はまだマインド・アップロードの技術が確立していないが、技術が確立して人間がサイボーグとして生まれ変われるときがくる②今、脳を永久保存しておけば、その技術が確立したときに生き返ることができる、というもの。完全な形で脳を保存するためには、脳死する前に保存液を注入しなければならない。ただ保存液を注入すると、その人物は確実に死ぬ。末期患者の安楽死が認められている国や州でのみ、末期患者の脳の永久保存を受け付けているという。

安楽死に対する賛否が分かれることから、論争になっているわけだ。個人的にはその論争よりも、世界のトップレベルの研究者が脳の永久保存やマインド・アップロードの可能性をどうとらえているのか、ということに興味がある。

人間の蘇生が可能になる未来を信じて、脳を冷凍保存するという研究やビジネスは、ずいぶん昔から存在する。実は僕も米国に在住していた25年近く前に、脳を冷凍保存するベンチャー企業をカリフォルニア州バークレーに訪ねて取材したことがある。工場のような敷地の中に、ドラム缶のような容器が置いてあり、その中に冷凍された脳が保管されている、という話だった。脳1つ当たり100万円ほどで100年間保存する、というような契約だったように覚えている。なんだかずいぶん怪しげなベンチャー企業だった。

MIT Technology ReviewのA startup is pitching a mind-uploading service that is “100 percent fatal”という記事によると、こうした脳の永久保存はいろいろな方法で試されており、米アリゾナ州にあるAlcor延命基金には、150人以上の遺体や脳を液体窒素で保存しているのだという。

ところが数年前に、脳に保存液を注入することで脳のコネクトームを保存できる新しい技術が開発された。コネクトームとは、ニューロンを結びつけるシナプスの地図のようなもの。神経学者Ken Hayworth氏によると、特定の個人の意識を再現するにはコネクトームの地図が不可欠だという。保存された脳を蘇生できるかどうかは分からないが、少なくともコネクトームのデータがあれば、コンピューターで意識や性格を再現できる可能性があるというわけだ。今は無理だが「100年後には可能になっているかもしれない」とHaywarth氏は前向きに評価する。

一方でMcGill大学の神経学者Michael Hendrick氏は、脳の永久保存と蘇生を「ひどく間違った希望だ」と糾弾する。「脳バンクを後世の世代に押し付けるのは、笑ってしまうほど傲慢」と指摘する。

この記事を書いた Antonio Regalado氏は、「分からないことが多過ぎる。意識が何であるのか、まだだれも分かっていない。したがって意識をコンピューターで再現できるのかどうかも分からない。脳の組織や細胞のどの部分が記憶や性格に必要なのかも、分かっていない」と指摘している。

Nectome社と業務提携して批判されたMITのEdward Boyden氏は、「そうした問いに答えるためにもデータが必要。脳内の情報を保存することは、とても有用なことだ」と同社のスタンスを擁護している。

このBoyden氏。実は、ノーベル賞が確実視されるほどの著名な研究者。同氏ほどの世界的権威がNectome社と業務提携すれば、それだけで同社の主張に信ぴょう性が増す。

それが問題なのだと批判するのが、スウェーデンにあるカロリンスカ研究所(Karolinska Institute)のSten Linnarsson氏だ。Linnarsson氏は「MITが一部の人々の自殺の可能性を高めた」と真っ向から批判。Linnarsson氏は「根本的にネクトームはまったく誤った考えに基づいています。(マインド・アップロードは)まったく起こり得ないことです」「非常に非倫理的です。どれほど倫理に反することか言い表せないほどです。医学研究としてすべきことではありません」と、かなり怒っている様子。

たとえ世界的権威であっても真っ向から反論するのが、欧米のアカデミアのおもしろいところだ。

こうした批判を受けてMITは、Nectome社との契約を解消したわけだ。解消の理由を「商業計画の基本となっている科学的根拠と、同社がこれまでに発表したいくつかの公式声明を考慮して」としている。科学的根拠が薄いのに、マインド・アップロードが可能だと思わせるような発言を繰り返すなよ、こっちまで迷惑を受けたじゃないか、というようなことなのだろう。

MITは契約解消の発表文の中で、マインド・アップロード研究の現状を次のようにまとめている。

神経科学は、記憶と心に関するあらゆる種類の生体分子すべてを保存するのに十分有効な脳の保存方法があるかどうかを把握できる段階にまで進歩していません。個人の意識を再現できるかどうかも不明です。

「意識を人工知能で再現できた」などという報道を目にすることがあるが、結局、まだ何も分かっていないというのが現状なのだと思う。

僕が25年前に取材した脳は、その後どうなったんだろう。保存液がないと意識がよみがえらないという話も出てきているというのに、これからも工場の敷地内のドラム缶の中で冷凍保存され続けるのだろうか。

 

 

湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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