カンブリア大爆発。「目」を持ったことでカンブリア紀に生物の数が爆発的に増えたといわれる現象だ。そして21世紀、AIが「目」を持った。そのおかげで業界の勢力図を塗り替えかねないイノベーションがあちらこちらで起ころうとしている。その影の立役者が、日本のAIベンチャーLeapMindだ。
モノが「目」を持つことの意味
カンブリア大爆発は、友人でヒューマンセンシングビジネス研究会を主宰する新城健一氏が、よく口にしているたとえだ。確かにセンサー類の高性能化、低価格化が、大きなビジネスチャンスを生んでいることは事実。しかしAI技術の中のディープラーニングと呼ばれる技術も、画像認識の精度を急速に進化させている。皮膚診断など医療の領域でのAIの画像認識精度は、人間のそれを超えたと言われる。
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その技術を使ってAIの目をあらゆるモノに搭載しようとしているのが、東京に本社を置く新進気鋭のAIベンチャー、LeapMindだ。
同社は、画像認識機能を持つプログラムを搭載した安価な小型チップの開発を年内完成をめどに進めている。開発に成功すればあらゆるモノに「目」を持たせることが可能になるという。
モノに「目」を持たせることで、何ができるようになるのだろうか?
分かりやすい例として、カメラにLeapMindのAIチップを搭載した場合を考えてみよう。
LeapMindのAIチップは、被写体の人物が目をつぶっていたり、ピントがずれていたり、という状態を認識できる。そうした写真を自動的に削除するように設定しておけば、ユーザーは被写体にカメラを向け連写ボタンを押し続けるだけ。何千枚も写真を撮っても、うまく写っていない写真や見た感じがそっくりの重複写真をすべて削除してくれる。ベストショット1,2枚だけを残すことが可能になるわけだ。「シャッターチャンス」という言葉は死語になるだろう。
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今の技術で同様のことをしようとすれば、まずは何千枚もの写真をネット上に転送し、ネット上のAIに画像認識してもらうというプロセスが必要になる。何千枚も転送するので、通信時間や通信コストが膨大なものになってしまう。カメラ自体にAIを搭載することで、こうしたデータ転送の時間と通信容量の無駄を大幅に削減できるわけだ。
LeapMindのAIチップはそれほど高価ではないので、AIチップを搭載したカメラの価格はそれほど高くはならないはず。値段が変わらないのに、常にベストショットを撮影できるようになれば、消費者はこのカメラに飛びつく可能性がある。
家電製品や家具が「目」を持つ
このカメラと同様のイノベーションが、いろいろなデバイス、領域で起ころうとしている。
例えば家庭内。コンロの様子をAIチップ搭載小型カメラでモニターすることで、コンロの火を自動調整してくれるようになるかもしれない。スパゲッティを茹でているときに、沸騰した水が吹きこぼれそうになれば火力を自動的に下げ、沸騰がおさまってくれば再度火力を自動的に上げる、といういようなことが可能になる。コンロの近くに立っていなくても、安全に調理ができるようになるわけだ。
窓にAIチップ搭載小型カメラを設置すれば、朝日とともにカーテンが自動的に開くように設定できるかもしれない。不審者の動きを認識して、出先の家族に不審者の写真を転送してくれるようなサービスも可能になるだろう。AIは、カメラに写った人物が家族なのか不審者なのか、正確に見分けることができるようになるだろう。
ダイニングテーブルの照明器具にAI搭載小型カメラを設置すれば、テーブルの上の料理や食材を認識し、摂取カロリーを自動的に算出してくれるようにもなるかもしれない。
テレビにAI搭載小型カメラを設置して、顔認識や表情認識機能を持たせることで、コマーシャルをだれが見ているのかが分かるようになるだろう。またそのときの表情から読み取れる感情を認識し、テレビコマーシャルに対する消費者の感情を認識することも可能になるかもしれない。
洗面台の鏡にカメラを設置することで、表情や皮膚の状態から読み取れるストレス度や健康状態、心拍数などを記録したり、肌の状況にあった化粧方法を提案してくれるようにもなるかもしれない。
冷蔵庫にカメラを設置すれば、どのような食材があるのか、賞味期限がいつなのかを把握し、スマートフォンから確認できるようになる。残っている食材から可能なレシピを提案したり、そのレシピで調理するのに足らない食材だけを宅配するサービスなども生まれてきそうだ。
こうしたアイデアは昔から話題になるが、これらのアイデアを実現するための技術がいよいよ完成しようとしているわけだ。
「5年以内に影響を受けない業界などない」
消費者向けだけではなく、ビジネス用途もアイデア次第だ。
店頭のカメラで客の表情を解析し、どういう手順で話を進めれば営業マンがクロージングできるのかを研究することも可能だ。
工場の機械にAIチップを搭載し各種センサーを紐付ければ、いろいろな過去データから機械の故障を事前に察知できるようになる。いつ故障するのか正確に把握できるようになれば、事前に代替機を準備できるので、生産ラインの停止時間を最小限に抑えることができるだろう。
倉庫内に入庫された商品のラベルなどを読み取って自動的に仕分けしたり、在庫リストを管理してくれるようにもなるだろう。
熟練の漁師にしか見分けられないような魚群探知機の魚影もAIなら見分けられるので、高級魚に的を絞った漁業が可能になるかもしれない。
「人間の目をはるかに超える精度の『目』をモノやデバイスに取り付けることができれば、どのような製品やサービスが可能になるのだろうか」という観点で周りを見渡せば、ビジネスチャンスはあちらこちらにころがっているはずだ。
先日、取材でシリコンバレーに行った際に、スタンフォード大学AI研究所の元所長で、現在は中国バイドゥ(百度)のチーフサイエンティストを務めるAndrew Ng氏の講演を聞く機会に恵まれた。講演の中で同氏は、「ディープラーニングが今後5年以内に何も影響を与えない産業など存在するんだろうか。学生たちと、1つ1つの業界を例に取って議論してみた。結果は、そんな業界は1つもない、ということだった」と語っている。
AIチップの小型化、低価格化が進むことで、製品、サービスのカンブリア大爆発が今、まさに起ころうとしているわけだ。
強みは外国人リサーチャーと働きやすい環境
彗星のように現れたLeapMind。いったいどんな会社なのだろうか。
取締役COOの渡辺一矢氏によると、従業員はアルバイトも含め20名ほど。まだまだ小規模だ。従業員の半数近くは外国人だという。
渡辺氏に、CEO松田総一氏の人物像を尋ねてみた。渡辺氏は「松田くんは、飲むと『ドラえもんになりたい』『ロボットになりたい』とずっといってるおもしろいヤツです」と笑う。やはり発想がユニークな人物なのだろう。
技術面とビジョン作りは松田氏が一手に引き受け、それ以外の営業、人事、総務、広報など、すべてを渡辺氏が担当しているのだという
渡辺氏に同社の強みを聞いても、「強みですか。うーん、なんでしょうね」という返事。そこで同社に業務委託で参加しているAIリサーチャー兼エンジニアの遠藤太一郎氏に、代わりに話を聞いてみた。
「松田さんの技術力もさることながら、渡辺さんが作り出す組織の雰囲気がいいんです。外国人にとっても働きやすい環境なんです」と解説してくれた。
研究者数だけ見れば、LeapMindのようなベンチャー企業よりも、大手企業の方がAI研究者を数多く抱えているはず。にもかかわらず、大企業からのひっきりなしの引き合いが続いている。どうしてなのだろう。
遠藤氏は「論文のリサーチ力と実装力ですね」と言う。最近では学会で発表する前にネットで論文を発表する研究者が増えているらしい。そうした最新の論文の中から、ビジネスに使えそうなAI関連論文をいち早く見つけてきて実装する、ということが競争力の源泉になっているのだという。ネット上の論文は英語のものが圧倒的に多いが、遠藤氏によるとLeapMindには、凄腕の外国人リサーチャーが二人いて、世界の最新情報を掴んでくるのだという。
大学の研究所と違ってLeapMindは、論文で発表できるような技術を自ら開発することが目的ではない。他者が作った技術でもいいので、どこよりも速くビジネスに役立てるのがミッション。自社でも研究するものの、リサーチ力と実装力の勝負なのだという。
特に世界中のカネやヒトなどのリソースがAIの領域に流れ込んできて、技術がものすごい勢いで進化していくのが現状。そうであるならば、なおさら自社技術にこだわる必要はない。
それよりも「速く動いてデータや知見を集めたい」と渡辺氏は言う。AIはデータで賢くなる。AIのアルゴリズム自体がオープンソースになっていく中で、他社との差別化はデータになるはず。最終的には、各社が持つデータを交換するようなデータ交換所になっていくのが、LeapMindの目標だと言う。
Newsweek日本版より転載
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