AI研究者にとっての次のフロンティアは自然言語処理技術(NLP)。人間の自然な会話をAIが理解できるようになり人間とAIの間の対話が成立すれば、新たな製品やサービスが山のように登場し、いろいろな業界の勢力図を塗り替える可能性があるといわれている。ただ研究者の間でも意見が分かれるのが、自然言語処理技術の完成の時期。30年たっても完成しないという予測もあれば、5年以内に完成するという予測もある。見通しの違いは、ビジネスチャンスにつながる。米シリコンバレー出張で耳にした意見を交え、NLPの未来を占ってみた。
5年で検索エンジンより10倍便利な仕組みができる
日本経済新聞が米シリコンバレーで開催したイベントInnovation Forum “The Future of AI, Robots and Us”に参加してきた。スタンフォード大学AI研究所の元所長のAndrew Ng氏を始めトップレベルのAI研究者や起業家が登壇する豪華なイベントのトリを飾ったのが、カリフォルニア大学バークレー校のStuart Russell教授。爆弾発言は同教授の講演の中で飛び出した。
同教授によると、画像認識技術は既に完成の域に達し、AIの研究者にとって次の課題は自然言語処理になったという。そしてその課題は早ければあと5年で解決する見通しだという。
僕はこれまで30人近くのトップレベルの日米のAI研究者を取材してきたが、AIが人間の言語を完璧に理解できるようになるには、あと30年以上かかるという見通しが支配的な意見だった。それが5年で完成するとなれば、衝撃的な話だ。
自然言語処理が完成の域に達すれば、翻訳の精度が上がり、チャットボットやロボットとの対話の精度も上がる。デジタル秘書の精度も向上するだろう。人間や社会のことを、AIはより正確に理解するようになるだろう。
今なら何か質問があれば、関連するキーワードを検索エンジンに入力する。そうすることで、検索エンジンは、そのキーワードを含むウェブページの中で関連性が高そうなものから順にリストアップしてくれる。ユーザーはウェブページを上から順に読んで、質問に対する答えを自分で見つけなければならない。
ところが自然言語処理が完成すれば、質問を入力すれば、直接答えが返ってくることになる。「検索エンジンよりも10倍便利になる」と同教授は指摘する。ネット業界の勢力図が塗り変わる可能性のある技術革新なわけだ。
【参考記事】女子高生AI「りんな」が世界を変えると思う理由
その自然言語処理の課題を解決するのは、最近何かと話題のAI技術「ディープラーニング」ではなく、「Universal Probability Language」という技術なのだという。
同教授によるとUniversal Probalitity Languageは、「数学で表記できる確率モデルならどんなモデルでもこの言語を使うことで、機械学習に使うことができる」という。
残念ながら僕にはこの説明では何のことだかさっぱり分からない。同行したAIのリサーチャーにも講演を聞いてもらったが、彼にもこの説明ではよく分からないということだった。
ただ自然言語処理がAI研究者やテック企業大手にとって次の課題となっていることは間違いないようで、AI関係者の間で最も注目されている半導体メーカーNVIDIAのCEOのJen-Hsun Huang氏によると、中国のAlibaba や Amazon、IBM、Microsoftなどのテック大手がNVIDIAのプラットフォームを利用し始めたようで、「検索、認識、推奨、翻訳など、消費者向けインターネットサービスにAIを導入するレースが始まった」と語っている。
Google自身、どこよりもAIの研究に力を入れているので簡単に覇権を譲り渡すことはないと思うが、AIを利用したネットサービスの覇権争いが激化しようとしていることは間違いなさそうだ。
「AIによる言語理解は将来的にも恐らく不可能」
さてこの「自然言語処理技術があと5年で完成する」という発言があまりに衝撃的だったので、シリコンバレーの研究者たちに感想を聞いてみた。
メールやメッセージングといった情報の洪水の中から重要な情報だけを取り出すパーソナル・データ・フュージョンという技術を開発中のAIベンチャーのModuleQのDavid Brunner氏は、「自然言語処理技術でメールの中身をAIが理解することは将来的にも恐らく不可能。なのでわれわれはその方向を目指さない」と言う。Russell教授とは正反対の意見だ。
リクルートがシリコンバレーに設立したAI研究所Recruit Institute of TechnologyのAlon Halevy所長にUniversal Probability Languageのことを聞いたところ「聞いたことがない」と言う。
どういうことなのだろう。
Russell教授によると、Universal Probability Languageはここ1、2年で急速に進化した技術だというが、それにしてもシリコンバレーの中でも、ここまで意見が分かれるのはいったい何が起こっているのだろうか。
完成するの意味が違う
このことに関してシリコンバレー取材に同行してくれた仲間たちと徹底的に議論した。その結果、われわれが達した結論は、「完成」の定義が人によって異なるのではないか、ということだった。
今日でも自動翻訳技術はある程度の翻訳をこなすし、siriのようなデジタルアシスタントはある程度の受け答えが可能。しかしこうしたサービスの裏側にあるAIは、ユーザーの発する言葉の意味を理解しているわけではない。
九官鳥に「おはよう」と語りかけると「おはよう」と返してくれるので対話が成立しているように見えるが、九官鳥は「おはよう」の意味を理解しているわけではない。同様にsiriに「今日の天気予報は」と聞くと、ネットを検索して今日の天気予報を探してきてくれるが、「天気」や「予報」「晴れ」「雨」などの意味を理解しているわけではない。
自然言語処理技術が完成するまで30年以上かかるか、もしくは完成することはない、と主張する人たちは、「完成」の定義を「AIが人間並みに言葉の意味を理解すること」としているのだと思う。
一方で早ければあと5年で自然言語処理の課題が解決すると主張するRussell教授の「完成」の定義は、「意味を理解していなくても、やり取りのパターンを大量を覚える」というようなものなのかもしれない。
確かに九官鳥やsiriがいろいろな問いに対して的確に返答するパターンを無数に持つことができれば、たとえ意味を理解しなくても、ほとんどの対話が成立するようになる。AIが意味を本当に理解していなくても、対話が目的を達成するのであれば、それで十分なのかもしれない。
意見の対立は、こうした定義の違いからくるものではないか。われわれの仲間内ではそのような結論に達した。
しかし本当のところは分からない。ただもしUniversal Probability LanguageがRussell教授が主張するように世界を変えるような技術なのであれば、これから関連する情報が次々と出てくるはず。自然言語処理界隈の動向を見守っていきたいと思う。
そして何よりも、異なる意見が存在するといういことは、ビジネスチャンスが存在するということだ。ほとんどの投資家が業績が上がると予測する企業の株を買っても、大儲けはできない。ほとんどの投資家が見捨てた企業の株を買って、その企業が急に成長すれば、大儲けとなる。
かなりの広範囲の業界に影響を与える技術革新になりそうなので、自然言語処理の現状と可能性をこの時点で押さえておくことは非常に重要なことだと思う。
Newsweek日本版より転載
http://www.newsweekjapan.jp/