もう何年も前に読んだ本なので正確には覚えていないが「気配りのススメ」という本の中で、多くの人の顔と名前を覚えていることが「頭のよさ」として書かれていた。確かに昔は記憶力のいい人、なんでも物事を知っている人が「頭がいい人」として賞賛されていたように思う。
しかし今日では、どれだけ記憶力がよくてもメモリチップにはかなわないし、どれだけ物知りでも検索エンジンにかなわない。なので記憶力のいい人、物を知っている人のことが、「頭がいい人」と形容されなくなってきているように思う。
これから人工知能が、急速に進化していく。そうなれば「頭のよさ」の定義ってどう変化していくのだろう。
そういう観点で最近、『世界を変えるビジネスは、たった1人の「熱」から生まれる。』(丸 幸弘著、日本実業出版社)と、『スタンフォード大学 夢をかなえる集中講義』(ティナ・シーリング著、CCCメディアハウス)という2冊の本を読んだ。2冊とも、これからのビジネスに必要な心構えやスキルというような観点で書かれているが、この2冊の中で書かれているプロジェクトを遂行する能力こそが、これからの「頭のよさ」の定義になるのではないかと思った。
人間に残される領域
人工知能が進化しても、人間に残された人間が得意とする領域があると言われる。一般的に言われているのは「クリエイティビティ」「マネジメント」「ホスピタリティ」の3つの領域。アーチストや経営者、接客業などは、これからも人間の仕事であり続けると言われることがある。
ただこうした領域も既に一部、人工知能によって侵食されている。例えば人間が心地よいと感じるリズムや和音、メロディーには一定のパターンがあるらしく、そのパターンを踏まえて作曲する人工知能が既に登場している。試しにYouTubeで「Artificial Intelligence music」というキーワードで検索していただきたい。人工知能が作曲した楽曲が幾つもヒットする。人間が作曲した曲と比べて遜色があるのかどうか、ご自身で確認していただくといいだろう。米国では、人工知能が売れると判断した曲が実際にヒットチャートの上位に入るというケースが出始めているようだ。
マネジメントも人工知能のほうが得意だという意見がある。例えば工場長という管理職は、生産性を上げることが仕事の目的になるのだろうが、工場のあちらこちらに様々なセンサーを配置し、それらのデータを基に人工知能がロボットや生産レーンを制御し効率運営するようになりつつある。「インダストリー4.0」などと形容される動きだが、人間が管理するよりも生産性が上がるのは間違いない。
ホスピタリティの面でも、人間よりもロボットのほうが向いている領域がある。特に新3Kと呼ばれる「きつい、厳しい、帰れない」職場でも、ロボットなら文句ひとつ言わずに黙々と働き続けることだろう。
恐らく職種で見るのではなくて、仕事の中身で見るほうがいいのかもしれない。前回のコラム記事「人工知能が万人のものに?米新興企業データロボットがヤバイらしい件」の中で、シバタアキラ氏が人間に残される仕事の中身について語っている。同氏によると、人工知能の「前」と「後ろ」が「人間がこれからも価値を出せる領域であり続ける」という。
「前」とは、人工知能にどのような問題を解いてもらうのかを決めて、そのために人工知能にどのようなデータを与えて人工知能を賢くするのか、という作業の部分。「後ろ」とは、人工知能が出してきた予測結果を踏まえて、どのようなアクションにつなげるのか、そこを設計する作業だ。
つまりビジネスやプロジェクトの全体を設計し、その中のどの部分を人工知能に任せるのかを決めるのが人間の役割になる。なぜなら人間には、プロジェクトを成し得たいという欲があり、信念があり、パッションがあるからだ。人工知能にパッションはない。(関連記事: 人工知能はデータを富に変えられない、人間の「欲」が不可欠だ)
「なにかをしたい」という強い思いを持ってプロジェクト全体を設計し、その中に人工知能をどう組み込むのか。そういう作業こそが人間の仕事であり、そういう作業をこなす能力こそが、人工知能全盛時代における「頭のよさ」になっていくのだと思う。
そういう意味で、プロジェクトの設計と実行の方法を説く『世界を変えるビジネスは、たった1人の「熱」から生まれる。』と、『スタンフォード大学 夢をかなえる集中講義』 という2冊の本は、これからの「頭の鍛え方」を書いた指南書だと思う。
世界を変えるビジネスは、たった1人の「熱」から生まれる。
丸幸弘氏は『世界を変えるビジネスは、たった1人の「熱」から生まれる。』の中で「イノベーションを生むのはPDCAサイクルではなくQPMIサイクルだ」と書いている。PDCAサイクルとは、ビジネスの世界でよく使われる言葉で、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Act(改善)の 4段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善するサイクルのこと。何をすべきか計画を立て、その計画を実行し、その結果どの程度の成果につながったのかをチェック。問題点を見つけ出して、改善案を新たな計画に落とし込む。このサイクルを何度も何度も回していくことで製品やサービスの質を向上させていくという考え方だ。
丸氏は、このサイクルでは「今ある仕事をよくすることはできても、新しい仕事を作り出すことはむずかしい」と指摘する。そこで丸氏が提唱しているのはQ(クエスチョン、問い)、P(パッション、熱意)、M(ミッション、目的)、I(イノベーション、革新)のサイクルだ。「質の高いクエスチョンに対して、個人が崇高なまでのパッションを傾け、信頼できる仲間たちと共有できる目的に変え、解決する。そして諦めずに試行錯誤を続けていれば、革新や発明を起こすことができる」のだという。特に熱意は重要で、イノベーションが起きるかどうかは「問題をなんとしてでも解決しようという強いパッションを持った個人がいるかどうか」にかかっているという。
スタンフォード大学 夢をかなえる集中講義
ティナ・シーリグ氏も『スタンフォード大学 夢をかなえる集中講義』の中で同様のサイクルを提唱している。同氏はそれを「インベンション・サイクル」と呼んでおり、「想像力」「クリエイティビティ」「イノベーション」「起業家精神」の4つの要素で構成している。
成し遂げたいことを「想像」し、「クリエイティブ」に解決する方法を考え、それを世界に類を見ないような独創的で「イノベーティブ」なものに変えていき、起業するか起業家になったつもりで仲間を集めてプロジェクトを進める。このプロセスを回す能力は生まれ持ったものではなく、学ぶことができるし、学ぶことで「夢はかなえられる」という。
表現は丸氏のサイクルと微妙に違うが、ものを成し遂げる能力を高めるサイクルは非常に似通っている。
ただ決定的に違うのは、熱意に関する表現だ。シーリグ氏は「情熱なんてなくていい」と一見正反対の主張をしている。
しかしよく読んでみると、シーリグ氏は「最初は情熱がなくてもいい」と言っているだけで、その重要性を否定しているどころか、情熱を不可欠なものだと考えていることが分かる。
丸氏は、社員を採用するときにパッションを持っているかどうかを最重要視するという。パッションが出発点なわけだ。丸氏自身も、パッションの塊のような人物だ。
一方でシーリグ氏は、「情熱はあとからついてくる」と言う。つまり情熱を持っていない人でも、情熱を持てる方法があると指摘している。
情熱を持つには、何でもやってみる、没頭すること
実は、この情熱を持てないことこそが、現代人の抱える最大の問題ではないかと思う。
「だれか行き先をしめしてくれないだろうかと嘆く人。自分が思い描くように生きる自信がない人が大勢います。どこを目指せばいいのか分からず、障害をどうやって乗り越えればいいのかが分からない。イノベーターとして自分の未来を切り開こう、実現するもしないも自分次第だとは考えない人たちが大勢いる」と、シーリグ氏は嘆く。「未来は自分自身の手で切り開くことができる」ということこそを、若者に教えなければならないと主張している。
丸氏、シーリグ氏の提唱するサイクルがぐるぐる回り始めれば、それに伴い自信もついて、パッションも高まる。実績がつき、さらに自信がつき、さらにパッションが高まる。正のスパイラルだ。
ただその正のスパイラルの最初の原動力となる、最初のパッションをどう高めればいいのか。
シーリグ氏は、何でもやってみることだと言う。「情熱を傾けられるものを見つけようと、内へ内へとこもる人たちにはよく出会いますが、行動してはじめて情熱が生まれるのであって、情熱があるから行動するわけではないということです」。
没頭しろとも同氏は言う。「最初から好きになる一目惚れはめったにない。人でも職業でも、深く知れば知るほど、情熱を持ち、のめり込むようになる」と指摘する。考えずにまず動け、ということだ。
PDCAサイクルは人工知能に取って代わられる
ビジネスセミナーなどでしきりに推奨されているPDCAサイクルは、センサー、人工知能、ロボットを組み合わせたシステムが最も得意とするところ。インダストリー4.0と呼ばれるような全自動工場の仕組みは、センサーで得たデータを基に人工知能が生産ラインの最適化案を考え、それに基づいてロボットや生産ラインが動く、というもの。まさにPDCAサイクルそのものだ。そして人工知能はさらに進化し、オフィスのPDCAサイクルも侵食していくことだろう。
PDCAを回すことだけに専念してきた人たちは、人工知能に仕事を奪われ、ますます自信をなくしていくことだろう。生きる自信を失う人や、うつ病になる人が増えていくかもしれない。そんな人にこそ、丸氏のQPMIサイクルやシーリグ氏のインベンション・サイクルを実践してもらいたい。シーリグ氏は、起業したりプロジェクトを実行する能力は、生まれつきの能力ではなく、学ぶことのできるスキルだと言う。時代が変化しているというのに、新しい時代が求めるスキルを若者に教えないのは「犯罪行為と同じだ」とシーリグ氏は糾弾する。
これからの「頭のよさ」は、どれだけ熱意を持っているか、どれだけ独創的で、どれだけ仲間が多いか、ということになっていく。「一流大学を出た」というような、今の定義の「頭のよさ」は、その賞味期限が切れようとしている。どれだけロジカルシンキングが得意でも、人工知能には絶対に勝てないからだ。
Newsweek日本版より転載
http://www.newsweekjapan.jp/