元Googleの大物研究者がリクルートのAI研究トップに就任する意味

AI新聞

 株式会社リクルートホールディングスは、人工知能(AI)の研究機関であるRecruit Institute of Technologyの研究開発拠点を米シリコンバレーに新設し、研究トップに元Googleの大物研究者Alon Halevy(アーロン・ハーベイ)氏を起用すると発表した

 このことは実はとても大きな意味を持っている。リクルートが、Google、Facebookと並ぶ世界的なテクノロジー企業に進化する可能性が出てきたからだ。

すべては研究トップ次第

 今年6月に米シアトルを訪問した際にAI研究者のOren Etzioni氏に、企業がAI研究所を運営する上で最も大事なことは何なのかを聞いたところ、同氏は「トップにだれを連れてくるかだ」と即答した。

「バイドゥのAI研究所を知ってるか?バイドゥのAI研究所に今、優秀な若手研究者が続々と集まっている。なぜならNg先生がトップだからだ」。

 バイドゥとは中国のインターネット企業大手の百度のこと。Ng先生とは、人工知能の著名研究者の一人で元スタンフォード大教授のAndrew Ng氏のことだ。

 バイドゥがシリコンバレーにAI研究所を設置し、Ng氏をトップに起用したことは知っていた。Ng氏は自分が中国系米国人なのでバイドゥの研究所に勤務することに抵抗はないだろうが、米国の若手研究者たちが中国企業のために研究したいと思うだろうか。優秀な人材は集まりそうにないだろうな、と思っていた。

 ところがEtzioni氏によると、Ng氏の下で研究したいという若手研究者がバイドゥ研究所に集まり、成果を出し始めたという。「とてもいい研究所になってるよ」と言う。

 ほんの2,3年前までは、優秀な研究者、エンジニアを集める方法は、給料を上げることだった。20代前半のエンジニアが年俸2000万円以上で引き抜かれるという話をあちらこちらで耳にしたものだ。ところがAI研究に関しては、若い研究者は、金よりも成長の機会を重視しているのだと言う。

 なので私自身、リクルートがAI研究のトップにだれを連れてくるのかにとても興味があった。

Halevy氏は超ド級

 リクルートがトップに起用したのは超ド級の研究者だった。

 Alon Halevy氏は、ワシントン大学教授時代にベンチャー企業を2社創業し、うち1社がGoogleに買収されたのを機に、Googleに移籍。Googleでは10年間に渡りGoogle研究所の構造化データ部門の研究責任者を勤めた。

 研究者の相対的な評価を現す指数としてhインデックスと呼ばれるものがある。論文を何本書いたか、その論文がほかの研究者の論文に何回引用されたか、などという数字を元に算出される指数だ。

 このhインデックスで、Halevy氏は94という高得点を示している。ちなみにバイドゥのNg氏も94、FacebookのAI研究所のYann LeCun氏は74、産総研の人工知能研究センター長の辻井潤一氏は51、AI関連で最近メディア露出が増えている東京大学の松尾豊氏は31となっている。Halevy氏がどれほどすごい研究者かが分かるだろう。

 AI研究の分野でここまで評価されている研究者がトップになったのだから、バイドゥの研究所同様に、優秀な若手研究者がリクルートのAI研究所に集まってくる可能性は十分にある。

 だが、どうしてHalevy氏は、GoogleというAI研究のトップ企業を辞めてまで、世界的にはそれほど知名度がない日本企業にフルタイムで働こうと思ったのだろうか。

リクルートが持つデータに魅了される研究者たち

 Halevy氏がリクルートに移籍する本当の理由は、同氏を取材したことがないので分からない。

 ただリクルートは今年4月にも、AI分野の著名米国人研究者5人とアドバイザー契約を結んでいる。彼らはなぜ世界的には知名度がないリクルートのアドバイザーになったのだろうか。リクルートの何が、彼らを惹きつけたのか。

 5人のうちの3人と取材する機会に恵まれたので、その辺りの話を聞いてみた。

 もちろんそれぞれに温度差はあって「いや、頼まれたからなっただけ」という人もいた。しかしコロンビア大学のDavid Blei教授は、「またとない機会と思って飛びついた」と、その理由を熱く語ってくれた。

 同教授は、文書が何について書かれているのかを判別するトピックモデリングと呼ばれる機械学習の手法の第一人者。過去10年間この手法の研究に没頭してきたが、今は文書の文字列以外のデータ、例えばその文書を読んだ人がその後、どのような文書にアクセスしたかというようなユーザー行動データと、合わせて解析することに最も関心があるという。行動データと合わせることで、文書の内容がよりよく判別できるからだ。

 同教授によると、リクルートは、いろいろな領域のユーザー行動データを持つ珍しいタイプの大手企業だという。同教授が企業のアドバイザーになるのは、教え子の2,3のベンチャー企業のアドバイザーになったことを除けば、初めてのことらしい。

 確かにリクルートは、人材紹介を始め、グルメ、ウエディング、旅行、住宅など、ありとあらゆる領域のユーザー行動データを持っている。Googleでさえ持っていないデータを山のように持っている。AIを使って行動データを解析したい研究者にとっては、リクルートが宝の山のように見えるのかもしれない。

 カーネギーメロン大学のTom Mitchell教授も「リクルートはすごくいい立ち位置にいる」と絶賛する。「機械学習にうってつけのデータを大量に持っている。これらのデータを使ってレコメンデーションやマッチングを大きく進化させることが可能。AIでユーザーの幸福に大きなメリットを提供できるだろう」と語っている。

 Halevy氏も、リクルートの持つデータに魅了されたのだろうか。取材する機会があれば、ぜひ聞いてみたいと思う。

研究成果を本業に反映できるか

 Halevy氏をトップに起用することに成功したことで、リクルートのAI研究所が世界のトップレベルと肩を並べる研究所になる道筋はできた。5人のアドバイザーの顔ぶれもすばらしいし、若手研究者の採用も問題なく進むのではないかと思われる。

 企業のAI研究所としては、Google、Facebook、Amazon、Microsoft、それにバイドゥが有力視されている。他社とは異なるタイプのデータをリクルートが持っていることもあり、リクルートのAI研究所は、企業によるAI研究の重要な一角を占めるようになるかもしれない。

 しかし重要なのは、リクルートのAI研究所がリクルート本体とどれだけ密接に連携できるか、ということだ。

 研究所がどれだけ画期的な研究成果を出したとしても、それがリクルートの事業に反映されないのであれば意味がない。日本とシリコンバレーという物理的、文化的な距離、言語の壁を乗り越えることができるかどうかが課題だと思う。

 その点、Halevy氏は、10年間のGoogle研究所勤務で、研究所と本社の協業の仕方については十分に経験があるようだ。同氏のブログ記事を読むと、大学の研究所と企業の研究所では研究の仕方や目的がまったく異なることや、本社の従業員との密なコミュニケーションが重要であるというような指摘があった。Halevy氏がトップなら、研究所はリクルートの事業部門に寄り添った形で研究を続けることだろうと思う。

 ただHalevy氏がこれまで寄り添ってきたのはGoogleだ。世界で最もAIを重要視している企業だ。直近の決算発表でもGoogleのCEOのSundar Pichai氏は、AIが同社の最重要テーマで「すべての製品にAIを投入すべく、すべての製品を一から再構築する過程にある」と明言している。

 果たしてリクルート本体に、ここまでの強い意思があるのかどうか。

 すべてのサービスを一から再構築しようとすれば、大変な軋轢を社内に生むことになる。一般的な日本企業なら成功体験に縛られてサービスの一からの再構築は無理だろう。

 ただリクルートは、紙のメディアからオンラインメディアへの痛みの伴う変革をやってのけた実績を持つ、日本でも数少ない会社の1つだ。リクルートなら、オンラインメディアからAIをベースにしたサービスへの、さらなる変革もやってのけるかもしれない。

 Google、Facebookと並ぶ世界のAI先端企業の1社になることができるのだろうか。今後のリクルートの動きに注目したい。

Newsweek日本版より転載
http://www.newsweekjapan.jp/

湯川鶴章

AI新聞編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。

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